マンガ学、について

 マンガについてのガクモン、ということですが、マンガ「を」ガクモンするのか、マンガ「で」ガクモンするのか、というあたりも、実は両方あります。

 文化としてマンガを考える、それは広義の文化学でしょう。表象文化論とか、カルチュラル・スタディーズとか、はたまた大衆文化論とか民衆文化論とか、名前はさまざまなつけられますが、要するに現代の文化のひとつとしてマンガをとらえよう、というわけです。

 大衆文化とか民衆文化ということを言うならば、広い意味での文学研究、文芸批評といった部分にも関わってきます。

 いわゆる文学というと、小説とか詩とか戯曲とか、そのように文字で書かれた固有名詞としての作者のはっきりした作品を取り扱う、というイメージがあるかも知れませんが、最近の文学研究はそのような紙媒体の文字の文学――テキスト、などと呼びますが、それらだけでなく、先に触れたような広い意味での文化一般について批評的に考察する、という意味で、文化学に解消されてゆくような傾向があります。

 それは文化人類学社会学、あるいは社会心理学といった、それまで文化を取り扱うそれぞれ専門領域を持っていた学問もまた、それぞれに垣根をとりはずさざるを得なくなってきたこととも連動しています。

 いずれにせよ、眼前の文化という事象を取り扱うことだけは確かに共通していても、その手法や目的などは互いに微妙に違ったまま、ゆるやかに「文化学」といったところでくくられるようになってきていると言っていいでしょう。

 作品と作者、その読者層や媒介したメディアなどを「時代」の相と共に改めて解釈してゆく、そんな古典的な文学史、文芸批評のあり方も、そのままマンガに横すべりさせてやることでも、ひとまず意義はあります。作家論、作品論、読者論、など、すでに文学研究では陳腐とされ、乗り越えられてきた手法ですら、マンガの領域ではまだ存分に試みられているとは言えません。

 日本人のリテラシー(読み書き能力)の中で、マンガを「読む」というのはどういう位置づけになるのか。そういう視点からの問いもまた、それほどきちんと答えられていない。マンガの読み方をわれわれはどこで自然に覚えていったのか。

 美術史の方向からマンガを見てゆく、という立場もあります。技法やその発展のしてゆき方などに着目することで、これまでの美術史の脈絡と連結させてゆくこともできる。けれども、あたしはそのあたりは不調法ですからうまく論じられません。マンガ表現としての〈リアル〉が、美術史における〈リアル〉の「発見」とどのようにクロスしてゆくのか、などはかなり魅力的なテーマだと思ってはいますが、シロウトの生兵法は大けがのもと、と昔から相場が決まってますので自重して、せいぜい記録文学やルポ、ノンフィクションからドキュメンタリーといった〈リアル〉の流れとマンガとの相互の関わり方を歴史的にあとづけてニヤニヤしているようなところです。

 「文化」のひとつの素材としてマンガをとらえて、広義の日本文化、近代の大衆文化あるいは民衆娯楽といった脈絡で、「文化」的テキストとして考えてゆく、というのが基本的な立場だろうと思っています。

 児童文化、という方向からマンガに着目する動きもありました。今もあります。

 「児童」というのがミソです。「民主的」な日本の将来を支える「子ども」という考え方が、戦後の言語空間にはらまれていた。民俗学の側から言えば、たとえば昔話や伝説を「民話」といったくくり方で光を当ててゆくような動きが昭和20年代後半くらいから盛んになってくる。いや、それどころかそれまで単なる農山漁村の行事として細々と残ってきた年中行事やお祭り、神事などが「文化財」として新たな網をかけられてもゆき、そのかける網の重要な要として「民俗学」も注目されるようになってゆきました。

 手塚治虫がベレー帽をかぶっていることの意味もまた、もう忘れられかけています。やっぱりあれは「画家」であり「芸術家」のしるし、なんですね。「民衆」に奉仕する「自由人」としての。

 今でも覚えているのですが、小さい頃、なぜか親がとってくれていた『鉄腕アトム』の光文社版カッパコミックスというやつの、扉の裏に「私とアトム」というエッセイが載っていて、そこにはたとえば阿部進とか波多野完治とか、教育心理学や教育論の関係の人たちが結構書いていました。無着成恭なんかもいたかも知れない。そういう「オトナ」の側がマンガをどう見ていたのか、という意味で、当時から子どものくせにそれらを妙に印象深く見つめていた記憶があります。

 「栄養のあるお菓子」論、というのがありました。主食は学校で活字を介して食べさせるものだが、それ以外も必要だろう。くだらない駄菓子でなく、役に立つお菓子としてのマンガを、というのがおよその主張でした。これは「余暇」というもの言いとも時代的にシンクロしますね。「労働」「生産」という「主食」の側から「余った暇」であるアフターファイブ、という分け方ですが、マンガもまさにそういう意味での「サブ」カルチュアとして認識されてゆくことになりました。もろちん、「メイン」「主食」がはっきりとあったからこその分け方であることは言うまでもありません。

 この「読書」=「食事」論、どうやら当時、流行していたもの言いのようです。梅棹忠夫の『知的生産の技術』にも、そのへんの事情の一端が触れられています。逆に言えば、そういう当時の知的ベストセラーの脈絡で語られるような「読書」の位相において、マンガもまた語られるようになり始めていた、ということでしょう。知識人の視野に入り始めていたマンガ。

 「消費者」としての子ども、の位相がどんどん増大しているように思っています。子どもの好みを第一に尊重するような風潮がいつ頃からあたりまえになっていったのか。たとえば、花森安治のエッセイがあります。何もかも漫画だらけ、というタイトル。書かれたのは1966年。言わずもがな、『暮らしの手帖』に掲載されたものです。

 当時すでに、子供のまわりからマンガが氾濫するようになり始めていた。それは、書物としてのマンガというだけでなく、マンガという表象に収斂してゆくようなシンボルなども全部含めてのことです。具体的には、たとえばお菓子のパッケージに印刷されるちょっとしたマンガ、いまで言うイラストの類から、ぬいぐるみなどに至るまで、マンガとその周辺から発信されるようになったそういう「かわいい」世界が、子供のまわりにそれまでと違う密度と速度とで展開されてゆくようになっていました。