「新衰退国」の認識を

 もとは書評の記事ですが、読んでみたくなる書評、ですね、これは。

  書評で本こさえられるくらい、書評仕事は断らずにやってきたあたしですが、(理由……最低、その本がもらえる(*^^*)) こういうのは商売としての書評のガイドラインになります。

   日本の「近代」をもう一度、正しく認識し直す運動が必要だと思っています。通りいっぺんな進歩主義史観の劣化コピーをものさしに、などでなく、それをしもカッコにくくって相対化してやりつつ、広義の世界史的、文明史的な規模で、ということですが。

  そういう視線からすれば、たとえば、文中のgentlemanは、「旦那衆」に置換されるべきかと。近世の「鎖国」がもたらした「パックス・トクガワ」に育まれた「旦那衆」の農村(ムラ)バージョンが、柳田国男の想定した「常民」だった、と。ちなみに、マチバージョンは彼にとっては二次的関心だったようですが、もちろん町衆含めて、それら「旦那衆」の豊かさ(とりわけ西南日本系の)は、間違いなく「近代化」の過程で大きく作用しています。

   最近言われる「ガラパゴス化」も、そういう脈絡での文明史的な尺度で見直してみると、なかなか根の深いものがあるように思っています。 

 日本は最近、新衰退国(new declining country)などと呼ばれているが、イギリスは半世紀近く前から「衰退国」といわれてきた先輩だ。衰退とはどういうものかを学ぶには、本書はいい教材だろう。

 

 この問題は、産業革命を生んだ資本主義の祖国で、そのエネルギーが失われたのはなぜなのか――といった形で立てられることが多いが、「産業革命」というのは20世紀になって使われ始めた用語で、当時そういう急激な技術進歩が起こったわけではない。「資本主義」が株式をつのって会社を興すという意味だとすれば、そういう実態もなかった。

 

 株式会社という組織形態は、東インド会社のような遠距離貿易でリスクを分散するシステムで、初期のイギリスの綿織物工業には株式会社は一つもなかったという。綿織物工場の設備は小規模だったので、パートナーシップで十分だったのだ。大きな資本が必要だったのは道路や河川改修などのインフラだが、これに投資したのは地主(ジェントルマン)で、そのほとんどは公共投資ではなく「私道」としてつくられた。

 

 つまりイギリスの産業化を可能にしたのは、資本家ではなくジェントルマンであり、このような古風な性格のために、地主(資本家)と労働者の格差の大きい階級社会が20世紀まで続き、非効率な細分化された職人集団と職業別労働組合が残った。テクノロジーを軽視して人文的な教養を重視し、製造業よりも海外の植民地に投資するジェントルマンが一貫してイギリスの中心だった。

 

 そういう意味では、イギリスは昔も今も「産業」の国ではなく、地主が資産を運用して金利で生活する「虚業」の国だった(ケインズ金利生活者の「流動性選好」が製造業への投資をさまたげると批判している)。それは資本主義の典型とはほど遠く、製造業が弱いのも昔からだった。「資本を投入した製造業」という意味では、むしろ日本のほうが産業資本主義に近い。

 

 しかし「ポスト工業化」時代に入ってサービス業が中心になると、虚業中心のイギリスのほうが有利になる。「ビッグバン」以降、イギリスが金融業で世界の中心になったのは、こうした長い歴史があったからで、ものづくりしか能のない日本が「金融立国」といっても、簡単にまねできるものではない。

 

 イギリス人から見ると、賃金が安くて製造業の強い日本という「新興国」が20世紀後半の20年ぐらい勢いがよかったが、さらに賃金の安い中国に抜かれた。製造業は日本や中国のような田舎者でもできるが、金融のような高度に知的なゲームはジェントルマンにしかできないのさ――と見えているのかもしれない。

http://news.livedoor.com/article/detail/5136635/

  

 

イギリス近代史講義 (講談社現代新書)

イギリス近代史講義 (講談社現代新書)

 

 ああ、そうだ。こういうイギリスつながりで、もうひとつ。

 御厨さと美の『裂けた旅券(パスポート)』の中に、イギリスの没落貴族が骨董品の小物を横流しして、それをわざと貴重な品物のように吹聴するためにろくでなしを雇って値をつりあげてゆく手口を扱ったエピソードがあったっけ。アメリカでもなく、『ゴルゴ13』ばりの「外国」一般でもなく、ある程度リアル(に思えるような)なヨーロッパを垣間見せてくれた当時まだ貴重な一作だったけれども、そんな中でこういう「イギリス」の奥深さ、いやらしさを感知させられた記憶が結構鮮烈にある。