「郊外」「ロードサイド」論の背景

 

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 「ロードサイド」論(だか何だか)が少し流行ったのはあれ、やっぱり90年代のことだったか。それは「郊外」論としても現われてきていたけれども、いずれ主として都市化/郊外化と消費のありようのコモディティ化の脈絡でのことだったわけで、まあ、それはそれでありだったんだが、ただ、そういうお題に眼をつけた人がたがほぼ軒並みそういう「消費者」的自意識が無自覚全開、当時のノリに波乗りサーフィン巧みにしてゆくことが割とすんなりできていたような、今で言う「意識高い」系だったあたりがいろいろとひっかかっているところでもあり。

 そういう人がたでないと当時、そういう「ロードサイド」の変貌に合焦しにくかったという事情も、正直あったとは思う。眼前の事実、〈いま・ここ〉に常に動態として展開している事象としてのそれら風景を、その頃まだ輪郭のあった本邦「人文系」の枠組みや語彙でそのものとしてとらえようという意志は、それ自体なかなか難しいことだっただろう。そのあたりのほんの微妙な感覚もまた、いまやすでに「歴史」の相の向こう側に忘れられてきているんだろうけれども。

 てか、そういう人がたが先廻り率先してそういう「ロードサイド」(的なるもの)にシンクロしてゆくようになっていた、というだけのことでもあったりするかも知れないのだが。その後の過程で一気に通俗化していった、たとえばアニメなんかが描くそういう「郊外」「ロードサイド」(的なるもの)が当時、すでにある程度の下地として刷り込まれとった状況もあったとは思う。送電鉄塔や送電線、郊外電車の高架線やホーム、クルマがあたりまえのツールになっとる日常……確かに「郊外」的風景ではあるのだが、しかしその「郊外」というのもまた、あらかじめ当時覇を唱えていた「消費」独裁空間&情報環境としてのトーキョーエリジウム的「マチ」との関係で成り立っていたようなものだったわけで、それは歴史的な「郊外」成立論などとは少し違う位相、異なる角度からの補助線を当てようとしないことにはうまく合焦しないお題だったりする。

 例の「廃墟」趣味とか、同じくある時期以降眼につく程度にまで普遍化通俗化してきたらしいそういう感覚/美意識の類も、当時のそういう情報環境と併せ技でようやくくっきり宿り始めたような印象がある。このへん例の「もうひとつの歴史修正」とも関わってくるんだろうが。

 「産業の高度化に必然的に随伴する現象に都市化がある。60年代後半以降の社会文化の支配的な変容のパターンにはこの「都市化」が最も的確だろう。その証拠に70年代後半になって日本社会はまるごと都市社会になった。」……この後、ここで触れたような文脈での「郊外」論「ロードサイド」論がドヤり始めるまで10年足らず。

*1:これも備忘録的に。「もうひとつの歴史修正」のための下ごしらえとしても