敢えて「世代論」に期待する目算

 ここ10年くらいのことになるだろうか、各種の同時代論めいた出版物が出続けている。書き手もそれなりにさまざまで、視点もまたいろいろなのだが、いずれにせよ「戦後」の本邦社会、殊に高度経済成長からこっちの昭和後期~平成にかけての時代相をどのように意味づけ、説明してゆけるのか、という問題意識が前提になっているようで、そういう意味でもいろいろ興味深かったりする。*1

 1968年をひとつの画期として考える立場、というのは割と以前からもあって、それはいわゆる全共闘運動とその周辺の事象を同時代の大きなできごととしてとらえる視点からになるわけだが、それらとは別に1980年代をどう考えるか、というのも最近の焦点になっているらしい。あるいはまた、少し変則的なところでは1970年の大阪万博をエポックにしたり、あるいは思い切って1990年代に集中したりといったものもあり、なるほど視点や論点というのはその書き手や論者によって、何よりその生活歴や世代性などに規定される部分が良くも悪くも大きくなるものなんだな、という感慨も抱いたりしている。

 世代論自体が役立たずだ、という論調もすでにある程度一般的になっているようなところがある。そう言いたくなる気持ちはわかるのだが、だからと言って、そもそも「世代」とその特徴特質などは歴史や文化、社会を語ろうとする時に視野に入れる必要がない、とまで言われかねない状況にはさすがにちょっと待った、と言いたくなる。既存のこれまでの世代論が役立たずだと感じるにせよ、そしてそう感じることにも一定の正当性があると思うのだけれども、だからと言って歴史や文化、社会を語ろうとする時の手法のひとつとして世代を考えるというやり方自体が無効であるということにはならないだろう。必要なのは、結論ありき、あるいは書き手語り手論者の個人的な生活歴や見聞、経験に還元することを目的としたような「論」ではなく、〈いま・ここ〉の現在にはらまれている「歴史」を微分してほぐしてゆく上で役に立つような、そういう「世代」という補助線をどう引いてゆけるのか、ということのはずだ。でなければ、むしろ真逆の方向で、徹底的に個人の、自分のくぐってきた同時代経験としてのディテールをていねいに、早口にも大声にもならず少しずつ語ってゆく、そんな営みの複数の積み重ねが、同じような意味での補助線を横並びの戦線として構築してゆく上でささやかながら確実に役に立つ作業になるだろう。「世代論」というのが役に立つ局面がこの先あるとしたら、それは必ずあると信じているのだが、この双方の方向性において篤実な作業が行なわれてゆくことの先に開かれるものだと思う。

 そんな作業の一里塚として、少し前の、そして昨今ではもう忘れられているだろう仕事を気が向くままに新たに読み直したり、また「発見」していったりすることも、そういう役に立つはずの「世代」論へ向けての下ごしらえになるんだろうと信じている。たとえば、こんな枠組みでものを考える、その作法自体がもうようやく「歴史」の相に繰り込まれつつすらあるらしい現在だからこそ、もう一度「読む」ことで立ち上がる新しい「発見」というのは、案外新鮮なものになってたりもする。

 アジア/欧米、農村/都市、地方/中央、農業/工業……こういう「近代日本」の特殊歴史的な神話の中で形成されてきた社会的対立構図は、思想や政治や文化諸領域における土俗/近代、保守/革新、右翼/左翼、大衆文学/純文学、演歌(歌謡曲)/ポピュラー音楽、など各種の対立構図と照応していた。

 松下圭一は「都市型社会と防衛論争」(『中央公論』1981年9月)という論文で、農村型社会から都市型社会への移行段階を農業人口が30%を切った時期とみなし、都市型社会の成熟段階を農業人口が10%を切った時期とみなしている。(…)とすると、日本は1960年頃までは農村型社会ということになり、そこから70年代末までが農村型社会から都市型社会への移行段階、70年代末から都市型社会の成熟段階に入ったことになる。このうち、60年代から70年代末にかけての時期が、ちょうど高度成長期にあたるわけだ。そしてまた、その後の都市型社会の成熟段階に入った頃から、都市小説、タウン誌、シティ・ミュージックなどを含んだ都市文化の流行状況が生み出されるのである。

 農村型社会から都市型社会への移行は戦後教育ではこんな神話として必然化された。資源に乏しい日本が先進国になるためには加工業と貿易に努力しなければならない。舗装道路の割合が10%もないから欧米並みに30%を越えないと先進国文明国とは呼べない。米を食べていると血液が胃に集中し頭の回転が鈍くなる、パンを食べ牛乳をたくさん飲まなければ欧米並みに知的水準を上昇させることはできない、等々。こういった神話の数々でわたしたちは近代を底で支え、都市型社会への移行を当然としてきた。その結果、「ふるさと」に歌われているような「故郷」をほとんどどこにも見出せない現在を招来したのである。

死語の戯れ (1985年)

死語の戯れ (1985年)