おキモチ原理主義、の来歴

 おたく第一世代は当初から保守主義と親和性高かったこと、ポスモ/ニューアカも本質的に共通する気分の中に宿ったこと、けれども世渡り身振りとしての「戦後民主主義/左翼リベラル」話法は身だしなみ程度にゃ身につけていたこと、でもそれは「なんちゃって」で常に主体と乖離させられていたこと。*1

 だから、それが世渡り身振りとして効きが悪くなってくればいくらでも「なんちゃって」で別の装いにずらしてゆくことができるし、またそれができる程度にゃ「アタマが良い≒要領が良い」から葛藤もなくすんなり「合理的」に出来る。自己正当化や合理化マシンとしてのそれら「オウム的なるもの」の本質。

 「技術」(≒「(理科系的)科学」)と「(ニューサイエンスやトンデモなどに対してガバガバな)宗教」という、「戦後」日本語環境&言語空間における人文社会系「教養」にとってのある意味ワームホールみたいな部分、を狙い撃つようにして攻撃してきた「オウム的なるもの」の手口は未だ有効らしい、な。

 「宗教」と言わず「死生観」や「生命」「自然」「宇宙」などと言い換え置き換えながらどんどんあさっての方向に瞳孔も意識もガバガバに開いてゆく仲間意識の醸成は、それこそ近年の反原発放射脳界隈から反ワクチンやEM菌その他ご一統まで広く共通ステップとして。昨今言われるあの「おキモチ原理主義」ってのもそのへんのゆるふわマイルド「宗教」話法に耐性ない界隈に真っ先に感染していったんだろうな、と。

*1:年来のお題のひとつというか、結構大ネタではあり。このへんからすでにもう基本的な問題意識は胚胎していたわけで。king-biscuit.hatenablog.com