「明日があるさ」の現在

 いまどき若い衆は真面目で優秀だよ、礼儀正しいしちゃんと考えてるよ、と言う人がいる。だから、時代は昔よりずっと良くなってるんだよ、とつなげてゆく。「進歩」を、時代が「良くなってゆく」ことを信じている。そういう意味では正しく「戦後民主主義」的な向日性、「上を向いて歩こう」で歩いてゆきさえすれば先行きそうひどいことにもならないだろう、そう「明日があるさ」、といった「将来」「明日」「未来」という時間軸方向への信頼をちゃんと継承しているらしい。*1 


坂本九 上を向いて歩こう Kyu Sakamoto SUKIYAKI


坂本九 明日があるさ Kyu Sakamoto Ashitaga Arusa

 確かに、そういった感想や意見にもうなずけるところがある。なるほど、最近の若い衆は喧嘩をしない、酒も呑まないし煙草も喫わない、物腰は柔らかいしことば遣いも丁寧だ。通りいっぺんの行き交い程度なら、そうそう不愉快にさせられたりとけとげしくなったりすることはない。何というか、身振り言動立ち居振る舞いが「接客」的なルーティンのように整えられていて、男女問わず、具体的な局面にも関わらず、どこでも一律フラットに「よくできた≒訓練された店員さん」的な印象なのだ。

 でも、その一方で、その「接客」的ルーティンがなめらかに稼動している分、それぞれ内面はグチャグチャだったり目詰まり起こしてたり、ぶっちゃけナチュラルに鬱で、昨今の本邦この24時間全方位全方向での抑圧環境の中で実はもう息絶え絶えだったりしとらん? というのも、可能性としてでもなくすでにあたりまえの現在、〈いま・ここ〉の現実として同時に考えるようにしている。いや、それは単に同じことの裏表だったりして。もちろん、個々のひとりひとりは個別具体だし、マチとイナカ、出身階層や環境その他でそう一律じゃないのは言うまでもないこととして。

 だから、おっかないな、と懸念もする。それはそういう表面上礼儀正しくて賢くて優秀で無難で、「よくできた≒訓練された店員さん」的な現われ方をとりあえずしてきている分、その向こう側のナマモノとしての部分、生身の領域がこの先、どういうはずみでどんな方向でうっかり表沙汰になり始めるのか、というあたりのこと。それってイキモノとしてこの世に生きている以上必然的だろう思うわけで、その程度にゃ人間そうそう変わらないはずで、こちとら世代だとそれこそあのオウムの一件みたいな現われ方もしていたわけで、いずれそういう生身の〈リアル〉からの復讐みたいなものは生きとる以上絶対どこかで現われてくるんだろう。その時、事態をどう解釈して対応するか。パニクってあらぬ方向にはじけたり、予期せぬダメージから立ち直れなかったり、そういう来たるべき〈いま・ここ〉をできるだけ落ち着かせて「もとのあるべき姿」の幅に収めてゆくためにも、母語の日本語環境での人文系のことばをできるだけ準備しとかんとあかんだろうなぁ、と思って仕事をするようにしている。

 気負って言うならそれは概ね同世代、高度経済成長ネイティヴの直近から現在にかけてのていたらくを、どこか遠くから眺めながらの覚悟でもある。ある時期からこっち、それはだいたいあの3.11あたりを境にして本格的にバレちまった印象なんだけれども、どうして彼ら彼女らはメディアを介して編成されていった「リベラル」系もの言いの平板なテンプレに吸い寄せられるように足とられ、凡庸なひとくくりのもの言いのbotのようになっていったのか。高度経済成長ネイティヴでそれなりに世の中豊かになった中で育って、その豊かさの果実もそれなりに喰って夢も見て、そうやって「若者」時代を過ごしてきたのが冷戦崩壊からオウムや震災にも遭遇し挫折曲折、その後何とか個々それぞれ生き延びてきたはずなのに、ああ、どうしてそこまで何もちゃんと学んでなかったんだろう、という、深ければ深いほど自分ごとに必ず返ってくる嘆息を自覚するがゆえでもある。*2

*1:言うまでもなく、共に作曲は中村八大、作詞が前者永六輔、後者青島幸男、歌うは坂本九という当時の若い衆世代、「戦後派」と呼ばれてひとくくりでもあった彼ら「戦後民主主義ネイティヴの気分の、おそらくは最も素直に結晶している地点なのだろうと、何度聴き直しても感じる。こういう当時としては「新しい」向日性が、民放ラジオからテレビというこれまた「新しい」情報環境を作りあげてゆくその原動力の側から日々、日常生活に直接に入り込んでゆくようになっていった過程というのは、単なる懐古趣味、レトロ「コンテンツ」として消費される以上の、立体的でいきいきとした「歴史」としては実は未だにうまくは語り直されてきていない。

*2:3.11の震災をきっかけに、先にあげたかつての「戦後世代」の気分を結晶させたこれらの楽曲は「リメイク」され、ある方向性を伴った意図と共にメディアの舞台に流されていった。
SUNTORY CM 「上を向いて歩こう」全ver-修正 これらを作ったのは、それらの気分を自明のものとして育った高度経済成長ネイティヴ、1960~70年代あたりに生まれた者たちだったはずだ。前向きで明るかった高度成長期への単なるノスタルジーと共に、たとえ無意識にせよ彼らがうっかり何か切実なものも感じたらしいその気分に、そのかつての「新しい」向日性はどこまで〈いま・ここ〉のものとして継承されていたのか、などはまた、要検討&審議のお題として。