むかしの映像研

あの頃オートフィーダーのスキャナとパソコンあったらよかったなぁ。
描いた動画をすぐに見たくても現像上がってくるのは早くて翌日。
そして2分半くらい分の映像ないと現像に回せなくて。そのままだと勿体ないから。
で、動画は1分。残りは人間コマ撮りw
「惑星ラスク」ばっかり長くなるのだ(^_^;)


当時は8ミリフィルムで撮ってたけど、いちいち暗幕のある視聴覚室の利用願いを出すのが面倒なので、美術室の隣の準備室に簡易暗室を作った。
最初は狭くて中腰が辛かったけど、上の段の棚の扉を使う知恵をつけたおかげでかなり楽になった。
わしは撮影全く分からなかったので任せっぱなでした。雑絵


照明には学校の備品のハロゲンランプを借りて使ってたけど、とにかくよく切れる!新しく(自腹で)買い直してもすぐ切れる!
「こりゃ流石にお金が続かん!」てことで蛍光灯の電気スタンドに変更。画面が青くなるのはフィルターで何とか補正できるのを勉強した(カメラ担当してたWくんが)


ハロゲンランプのガラス部分を手で触ると脂がついて熱が溜まって切れる」
ってことをつい最近知ったw
めっちゃ手で触ってたわ(^^;)


セルはもちろん動画用紙も高くて買えなかったので、1枚12円の模造紙を買って12枚に切って動画用紙を作った。
固定した背景を使いたい時は動画用紙を切り抜いてた。
名付けて「紙セル!!」w
「もうちょっといい名前ないと?」と言ったのは森田くんだったかな?
横長のタップ穴はカッターで切ってた。


そんな仲間の1人が描いた動画がコレ。
フィルムになって動いたの見たとき度肝を抜かれましたわ。
1981年16歳の頃。


映像研見るとあの頃の話をしたくなるし、アニメ作りたくなるので困る。
もちろん映像研の話もしたい。
コミックスは電書で読んだよ!
自分の漫画がこんな風にアニメ化されるのは羨ましくて仕方ない(先週も言った気がするw)


そんな高校時代の友人たちはに聞くと誰一人映像研見てないと言う!!
「けしからん!見れ!!💢」と激推ししたので、2月2日の一挙放送は嬉しい。みんなちゃんと見れよ!w
twitter.com/Eizouken_anime…


TVアニメ「映像研には手を出すな!」 @Eizouken_anime
㊗️🎊連続再放送決定🎊㊗️
第1話~4話までをNHK総合にて一挙にお届け🚀
【2/2(日)午後4時15分~📺】
子どもから大人まで、これまで見逃していた方も本放送に一気に追いつくことができるチャンス!!!!
同日の深夜には第5話が放送!!
eizouken-anime.com/news/?id=19


2/2(日)は #映像研 祭りじゃ🦝
🦝🦝

しかし今日の浅草氏たちの作品、ダメなところが全くわかりませんでしたw
求めるハードル高いよなぁ…(◎o◎)

ようやく落ち着いてきたので仕事に戻る。

美術準備室の暗室、この3人で描けばよかったね。
ウチは #映像研 じゃなくて「漫映研」って言ってた。
ラーメン屋さんみたいw

熟練とイノベーション・メモ

*1

 浅ければ根が水に届かず、枯れる。深ければ苗が水中に落ちてしまい、流れていってしまう。絶妙な深さできれいに植えなければいけないので、慣れていない人間にはとても任せられない作業。それを簡単に考えるなんて。農業をなめないでほしい、と思ったという。


 後日、障害者学校の先生たちが「試させてほしい」と言って再訪。下敷きを持って。その下敷きを、一列の苗に押し当てると、いっせいに苗がきれいにすっぽり収まった。農家の方は驚いた。下敷きを使えば、熟練者が細心の注意を払って植えるよりもきれいに植えられるなんて!


 熟練者は、下手に手が器用なものだから、道具や方法を工夫するということがない。自分の技術でなんとかこなしてしまう。しかし障害者はどうしても不器用だから、道具などを工夫して、自分でもできるようにしようとする。不器用だからこそ、障害があるからこそ工夫が生まれる。しかも健常者にも便利。


 それ以来、その農家は毎年1人ずつ、障害者を雇用し、その人でも仕事ができるようにするにはどんな工夫をすればよいのだろう?と考えるようになった。そうした工夫は、健常者の作業性も大幅にアップさせた。


 実は、折れ曲がりストローもそうして生まれた商品のひとつ。寝たきりの人に飲み物を与えるのに、まっすぐなストローは不便極まりなかった。そこでどうしたらいいかと考え、できたのが折れ曲がりストロー。「できない」という課題があればこそ、工夫は生まれる。


 創造は、イノベーションは、「できない」を発見することから始まる。そしてその「できない」を工夫によって「できる」に変えることが創造であり、イノベーションとなる。ビバ!「できない」!できないことは創造の胚珠!


 いきなり新しいことを考えろ、と言われても、私たちは戸惑うばかり。しかし、「できない」をまず発見し、それを工夫によって「できる」に変えることを考える、という「方法」として言語化すれば、私たちは、さほど知識や技能がなくても、そこそこ新しいアイディアを生み出すことができます。

*1:「現場」信仰のもの言いが相対化もされず、だから批判も批評も宿らない不自由を乗り越えるために、たとえばこういう方向からの説明や言語化が有効な局面は確かにある、そういう意味での備忘として。

好きなもの、の守り方

 歳を取ってくると、流石に「世間は自分に敵意を持っている」みたいなパラノイアめいた事は考えてなくなる(世間は自分に無関心)。が、同時に「世間で主力ではない価値観はとかく軽んじられ、不利益を被る」とか「世間は価値を認めないものに、誠に冷酷」と気づくようになる。


 で、更に「自分も又、同じことを他者にしてしまう事もある」とも気づく。だから、目くそ鼻くそで人様の事なんか言えないな、と思うようになる。どこまで行っても折り合いが悪いらしい、と諦めるようになる。意外と、その方が穏やかな気持ちになったりするのだが。


 だから、私より年長の石田一さんが「父親からキング・コングに連れてってもらった」とか、更に年長の児玉数夫先生が「父が活動写真に連れていってくれて、その楽しさを知った」とか聞くと誠に羨ましいわけ。あの世代としては、珍しい親子関係だったのは想像出来るけど。

体験・記憶のいまどき・雑感

 ググって見つからない、断片も存在しないものは、自分自身の記憶の中にも存在しないもの、になりつつあるような気がする。記憶装置の外化、という「便利」と引き換えに、自分自身の生身の「体験」や「経験」のありようも変えてしまっているところ、あるのかも知れない。その場その場の「おキモチ」ばかりがピーキーに立ち上がり、でも、それらはその後も蓄積もしなければ醸成もしない、というような。「おキモチ」だけが「体験」として刷り込まれてゆく、というような。

 たとえば、攻殻機動隊のあのおっさんにしても、むしろweb上の「情報」として「家族」の記憶がある限りは目覚めなくてすむようなことになっとるんかも知れない。f:id:king-biscuit:20200506090943j:plain 懸案の例の「もうひとつの歴史修正」症候群にしても、そういう「体験」「経験」と「記憶」の関係 (専門的な語彙準拠な定義その他はひとまずご容赦)が微妙に変わってこざるを得なくなっている昨今の情報環境が悪さしてのこと、というのはありそうではある。

 ググって見つかるもの、画像映像の類も含めて「情報」として言及され、web上に存在しているものこそが「エビデンス」として「歴史」を作り上げるようになりつつあったりして、たとえそれが断片や痕跡程度のものであっても。でも、それって「文字」が出現して書物その他の形態で蓄積されていった過程でも起こっていたこと、かも知れないわけで。文字から遠い日常を生きる folk≒その他おおぜい、にとっての歴史&現実と、文字に依拠した現実も生きる人がたにとっての歴史&現実の乖離が起こったように、web情報ネイティヴな新世代の〈リアル〉と文字活字ドミナントな旧世代のそれとの乖離が始まってるのかも知れない。

 とは言え、さらに考えてみりゃ、カメラが普及してそこらの家に写真アルバムが存在するようになっていったことで、そこに映されている光景ベースに「記憶」が再編制されてゆく過程はすでにあったような気もする。「小さい頃の記憶」に写真というメディアが否応なく介在するようになっていった過程。写真が、ビデオなど録画媒体を介した映像・動画に置換できるようになっていった過程も含めて。違う方向から考えりゃ、貨幣が出現して普及してゆく過程でも似たような乖離は起こっとったはず、ではある。

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異文化・「進化論」・日本人・メモ

*1
www.asahi.com

 この矛盾に耐えられず現地で成功したい人は「じゃあ自分にとって、邪魔な日本文化を捨てよう」と切り捨てて西洋化しちゃうんですよね。そのこと自体は日本人が外国で生き残る道だからいいのですが、自己正当化するために「日本文化は古い考え(なので捨てた俺は悪くない)」と強弁するんです。それでこのインタビューを真に受けた人は「そっか、やっぱり日本文化はダメだ」と思い込んじゃうんです。そうじゃないんです。この人の内部で西洋と日本文化の融合が上手く行かなかっただけなんですよ。とは言っても相反する文化を抱き合わせた、武満徹さんのようになるのは難しい話なんですが……


 これはかなりの本質情報です。何故欧米帰りの知識人が、揃いも揃って西洋礼賛になるのでしょうか。その理由は二つの文化の摩擦に精神が耐えられないので、片方を貶めてバランスを取るのです。というわけでバイリンガルになれてもバイカルチャルになるのは、相当タフでないと出来ません。ものすごく大事なことを書いたので、これは分かってくれる人には分かってもらいたいです。日本人の日本文化ディスりというのは、こういう内面の葛藤から発生したものなのです。その事情を理解せずに、彼らの言い分だけ信じて安直に日本文化を否定するのは間違いなんです。


 何でしつこく書くかというと、真に受けた文科省の人やら大人やらが「やっぱり日本文化は遅れてるんですね」「世界で通用するために変えましょう」と浅知恵でくだらないことをやり始める危険があるからです。21世紀は日本文化を世界に分かってもらうために、発信して広める時代なんですよ。

 「進んでる/遅れてる」という素朴な「進化」史観ベースの「文化」「文明」観を刷り込まれてきた本邦近代このかた150年の呪い、というのは正直、あるとは思う。欧米彼の地での「進化論」がどういう背景や文脈で結像しているのか、それ自体の歴史・文化論的な背景については漠然としかわからないけれども、少なくとも本邦での文脈でのそれは、元祖彼の地とはまた違う拗れ方をした受容になっているのは、まあ、間違いないところだろう。
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 生物学的進化論の受容の歴史、とかになるとそれなりに汗牛充棟、生物学史から生命論だの何だのと、純正人文系の門外漢がうっかり口をはさめるようなものでもなさげなものの、どうも傍目で眺める限りは例によって京都系の色彩が強くなるみたいで、まあそれは「思想史」の、それも「社会思想史」という看板に関わる京都学派的な芸風とも関わってくるらしく、それはそれでまた別のお題になってくるような気もする。

 純正人文系脳からすると、関心の焦点になるのは社会進化論の脈絡の方。ということはスペンサーなわけだが、熊楠とスペンサーの繋がり具合などは、それこそ柳田との「違い」を考えてゆく上でも興味深い補助線になり得るとは思う次第。
ameblo.jp
 まあ、熊楠が標準にならないのは良くも悪くも言わずもがなだろうが、日本人の意識に社会進化論的なものさしが漠然とした規準として沈み込まされていった過程では、そのとりあえずの終着点である「現在」というイメージが、それ自体ほとんどの国民常民にとっては絵空事に等しかった「西洋」「欧米」から、徐々に日々生きるこの眼前の日本と重ね合わされてゆくこともまた、ひとつの「歴史」の道行きとしてあったのではなかろうか、とかいろいろと例によって。たとえば、「八紘一宇」で「大東亜共栄圏」的な「東洋の盟主」イメージが世俗的な想像力に合焦結像してゆく段において、そういう進化論的なものさしのとりあえずの終着点としての「現在」がある程度〈リアル〉に感じられるようになってきていた経緯もあるんじゃないだろうか、とか。

 前にも書いたでしょうが手塚漫画に出てきて明治時代の洋行帰りの官僚。西洋文化を「文明」と信じ、それを身につけた事を鼻にかけながら、内心は劣等感に苛まれる。妻には「旗本の娘の分際で!」と罵るなど旧階級意識もしっかり引きずる。こうした人物は昔も今も実在しそうだと思いますわ。

 芸術家で美食家だった北大路魯山人は、渡仏中に訪れた有名鴨料理店で、「ソースが合わない」と味だけを評価して、持参したわさび醤油で食べたという傲岸不遜な逸話を残してますが、逆に西洋文化には、そこまで強烈な自国の文化への自負がないと対等に渡り合えないという、重要な示唆もあると思います。

*1:オスカー2度目の受賞というカズ・ヒロの受賞スピーチに関連して軽く議論になっていたのだが、彼のこの事案がここで言われてるような事例にあたるのかどうかはともかく(なにせソースがソースだし……)、一般論としていわゆる「出羽守」的心性に向かってゆく経緯というのは、なるほどこんなもんかもしれんなぁ、と。

*2:『読売新聞』2001年7月27日夕刊、らしい。

小劇場界隈の闇・メモ

*1

 そのさなか、今月、三浦氏は公共劇場・ロームシアター京都の館長に就任した。パワハラと不当解雇とされる件について、三浦氏は一切釈明していない。このように、疑惑を持たれた「大物」が口をつぐんだまま、力を維持し、より高い地位に就いてさえいるのを見ると、暗い気持ちに襲われる。


 小劇場演劇界は文字通り小さな世界なのだが、その中で古株たちが相互に助け合い、もたれあい、問題があっても批判せず、批判されず、ぬくぬくと小さなパイを分け合っている。うんざりさせられる。こうした状況に対し、ツイッターなどで反対の声を挙げるのは若手を中心とした一部の俳優や演出家だけで、ほとんどの関係者は口をつぐんでいる。演劇の世界は人間関係が濃密であるだけに、難を恐れる気持ちが強いものと思われる。私はもう何年も演劇は見ておらず、以前は演劇評論家を名乗っていたこともあったが、今ではもう遠い記憶となっている(観劇を止めたこととパワハラ等は一切関係がない)。ただ、かつて少しは関わった世界だから、古い体質を変えようとしている若い人たちを応援したい気持ちもあって、ツイートしてみた。

 小劇場と呼ばれる界隈がいろいろめんどくさく、かつまたある時期からこっちはどうにも「権威」と癒着結託した商売構造になっているようなのは、傍目からもあからさまではあったのだが、ここにきてあれこれ内部の闇なり膿なりが漏れ聞こえるようになってきているようで。

*1:何があったかようわからんけれども、例によって流れてきたので備忘録として。

バイパス地理学・メモ