メシマズ家庭の記憶

メシマズの人って、祖母がそうだったけど、手順に従わないで手を抜こうとするなんてのは序の口で、余計なことするからダメ。おでんの具に色がつくぐらい煮込むなんて絶対無理で、小学生だったわしの机をあさって水彩絵の具で色をつけてたからね。開き直って「腹に入ればいっしょ」はカワイイものよ。


なにかにつけて吝嗇だったのが諸悪の根源。出汁がもったいないから水で味噌を溶いた薄い味噌汁とか、もはや粥ではないかと思われるほど水っぽいメシとか、おかずちいえば、鍋いっぱい具を放り込んだおでん、減ったら追加して毎日毎日、出汁ぬきの味がしないのを食べてたなぁ。


わしは小学校の家庭科でメシの炊き方から味噌汁の作り方を覚え、インスタントラーメンも袋に書かれた手順に従ってつくればけっこう喰えることを覚えた。こうすれば調味料をケチれるとか、余計なことを考えなきゃ普通の味がするものが喰えるんだわ。それはそれは大いなる発見であった。


祖母は、食材を買うカネがあるなら、小遣いは多すぎだといって、留守中にわしの財布をあさって金を盗った。親戚一同に聞こえるように、法事の席でカネ返せと喚き散らしたなぁ。孫の財布からカネ抜き取る祖母は実在しました。はい。あとは調味料も「もったいない」からって隠されたり。


そして、庭に野菜を植えてたんだけど、これも通学中に祖母に盗られた。結果、家庭内暴力に至った。バット振り回したりしましたよ? 家具や建具を破壊しまくったもんね。それでもメシは不味くなければイケナイという信念に生きた人だったねぇ、祖母はけっして屈しなかった。

メシマズな人は、うまいメシが憎いんだよ。友人達と外で贅沢な食事をして帰ってくることはあったけど、なにが美味かったっていってるのを聞いたことがない。あれは高いモノ喰ったという見栄を楽しんでるんだ。味なんかどうでも良いのよ。母の死後かつ祖母の存命中の十年で、わが家庭は崩壊した。


長時間煮込んで、良い具合にとろみがついたカレーを、さあ一晩おいて明日食べようと思っていたら、水でかさ増ししてあるんだよね、学校から帰ってくると。食い物は、須く不味く調理すべし、という信念に基づいて、祖母が実力行使するんだよ。そんで、水っぽい、かつてカレーだったものを喰わされた。


日曜日、鍋の前に貼り付いて見張ってないと、まともなカレーは喰えなかった。バットくらい振り回すさ、そりゃあね。


その祖母にしても、プラモデルを買うのは贅沢だとかいわなかったし、無理矢理返品させたりもしなかったし、わしの財布からカネを抜いたのは、やはり自炊の食材調達が腹立たしかったのだろう。メシにカネを使うな、それだけは我慢ならないという。


思い出したわ。祖母がスパゲティー・ミートソースをつくるといって、まず買物に行くわけだ。スパゲッティよりもマカロニが1円安いからって、マカロニをカゴに入れ、ミートソースは肉が入ってないブラウンソースの方が断然安いので、それをカゴに入れる。で、その食材をわしが暴力で奪い取ったのよ。


ミートソースなら出来合いの缶詰のを(まだレトルトはなかった)湯煎するだけだから、余計なことさえしなければ全然喰えるはずと思ってたら、これでナニをつくれと言うんだと絶句した男子小学生。

「ポプラ」の記憶

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ワイ学生の頃ポプラでバイトしてた時にホストやヤーさんが大盛りって言ったらこれぐらい突っ込まないと本気で怒られた。レジにカップ麺何個も投げつけられてそれを受け止めてレジ打ってた。なぜかジュラルミンケースみたいなのに買ったカップ麺入れて帰ってたホストさんとか…その人明け方泣いてたり…


そのポプラもワイが大学卒業してすぐに潰れて飲み屋になって、メッサ寂しかったなあ…。ロクでもない立地のロクでもない客層のとんでもないポプラだったけど、未だに色々思い出す。お客がヤクザとホストとキャバ嬢風俗嬢ラウンジの人と、明け方の謎の社会人?周りも自分も狂ってたと思う。


ワイがコンビニバイトしてた頃はまだ廃棄をもらえて、グリル弁当?かな、よく貰ってた。夜にゴミ捨て用の外のロッカーに行くときに必ずホームレスのオッちゃんがいて、廃棄前にオッチャン用にいくつか狙ってて。たまにケーキとかお菓子が出る時は分けてた。でもセブンとかから全部禁止になっていった


月に一度か二度、ヤクザの偉いおっちゃんと若い人20人くらいが来店する時があって、大抵その偉い人が20か30万くらい置いて若い人らが欲しいもんを買う日があって、相方と全力でレジ売ってたけどポプラは弁当にご飯つめてふりかけつけてラップするからヤバい。でもその時のヤーさんは優しい。待つ


ホストの人で仲良くなった人がいて、その人は夜7時くらいにカップ麺とか買って、明け方に弁当買って帰るんだけど夜はめちゃくちゃ優しいのに明け方はいつも酔ってブチギレてて、たまに素面の時にすまんすまんと謝ってきて。とにかくキャバ嬢や風俗嬢のお相手を明け方前にするのが凄くツライらしい


たまにその人は泣いてたなあ…。てかヤクザの人もよく泣いてる人がいた。理由は知らないけど、とにかくこの手の業界はメチャクチャ辛いみたいだから絶対に真っ当に生きようと固く決意した。あと、やっぱりモロに犯罪行為をされたらヤクザの人も警察に通報するんだなあ。色々あったけど警察がよく調べに


なんかそんなとんでもないコンビニの深夜勤務が1人だったわけで、ワイも何故そんな店の深夜に一人で入り続けていたのかは分からないけど、顔見知りになったお客の人達からは、とにかく真っ当に生きろみたいな話をよくされた。アレはホンマに大事なことだったんじゃろうなあ…


ヤクザやホストや嬢やヤンキーより、明け方とか6時前辺りにくる社会人?の人たちのほうがワシは怖いし嫌だった。ワザと一個づつ会計させて消費税の関係で1円づつ節約しないとブチギレとか、綺麗なスーツの40前のビジネスマン風なんだけど必ず買うものがたまに品切れだとブチギレとか、今思うと薬か病気


夜の1時過ぎてぼーっと外を見てたら、ダーッと全力で走り去るおっさんの後ろを5、6人の兄ちゃんが追いかけてたり、60ぐらいのオッチャンが綺麗なお姉さんに肩貸してもらいながらニコニコでゴム買っていったり、外からボヨンボヨンって音がするなと思ったら白装束の若い人20人がクラウンをボコボコに


クラウンの持ち主のオッチャンがホンマに半泣きで『ニイチャンやっとるやつ見たんじゃろ⁉︎』言うて警察と一緒に店に来て、ワシはクラウンを夜の繁華街には絶対に止めないようにしようと思ったしウチの駐車場にオッチャン勝手に止めて飲んでたくさいからもう何が何やら


そういえば弁当と一緒にお酒を買って行く人は少なかった…ていうか自分が客に飲ませる仕事の人ばかりだから当たり前か…タバコも全然売れなかった。でも変なエロ風の本?ばんがいちみたいなのと売れるが、少し違う感じのエロ本がよく売れてて、如何にしてそれを取りやすくするかが大事だったような

そのポプラと同じか分からないけど、東京の勝どき駅近くにやはり「ポプラ」と言うコンビニがあって、その駅を利用してた頃はよく寄ってました。最近、久しぶりに勝どき駅に行く機会がありましたが、既に無くなっていましたね。

赤地に白抜き文字でポプラって書いてて葉っぱのマークがあったら間違いないすね。お弁当にご飯を詰めてラップしてふりかけつけるならもう確定。

昔市ヶ谷防衛省前にポプラがあって予算期とか飯ギュギュウ詰めがバンバン売れてたから事務方制服組もやっぱ自衛官なんだなあ。って実感したことある。


飯田橋に住んでた頃は外堀通りにもポプラがあった。バイクで新宿通ってたから帰りは自分もごたぶんに漏れずギュギュウ詰めした。閉店してから確かハナマサになったのか。いずれにせよ通うことになった。

あるおもちゃ屋のはなし


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マリトッツォ、または「白いクリーム」関連・雑感

 ファストフードで「出して欲しいバーガー」のアンケートを取ると必ずローカロリー野菜バーガーが上位に来るけど現実はメガ盛りの下品バーガーが売れる。客の意見は建前が入るから当てにならないって言うよね。でもマリトッツォって逆にメガ盛りスイーツのオシャレ言い換えだと思うの。あれは発明ですよ


 元々イタリア伝統の菓子だとかそういうことじゃなくてさ。日本で当たった理由はそういうことなんじゃないのかなーと。

 これを爆盛りド級生クリームパンって言うと駄目なんでしょ?

 だから実は興味津々なんだけどちょっと品がなくて一般客が手を出しにくそうだった食べ物にオシャレ系な名前とそれっぽい出自を付ければ日本で大ヒットするということではないのか。二郎系ラーメンに「これは本場フランスで伝統的に食されているパスタ『パタリロ・ド・マリネールです』」とか言ってさw

 いつまで続くものかはともかく、2021年の夏あたりから流行していることは間違いない喰い物。単なる生クリームないしはホイップクリームをてんこもりにはさんだクリームパン、というのは概ねその通りのブツではあるが、ただそのパン生地も揚げパン的な感触の生地だったり、やかましくこだわるなら「違い」はあると言えばある。

 で、なんでこんなものが、ということになるのだが、要はこの生クリームないしはホイップクリームをどれだけうしろめたさなくてんこもりに喰えるのか、というあたりの、近年本邦世間一般その他おおぜいの潜在的な要求に答えたメニューの一環なんだろうな、と。少し前もてはやされた「パンケーキ」などと同じハコ。あれも本体はそのパンケーキ生地の上にてんこもりにされたそれら生クリームないしはホイップクリームだったわけで、さらにあれこれ果物やらアイスクリームやら何やらをトッピングしようが、眼目はあの「白いクリーム」ではあったはず。

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 同じような流れで「パフェ」ブームというのも少し前からあった。それも夜のバーやカフェ的なしつらえの店でメニューとして出されたり、さらにそちらが主体の「パフェバー」になったりとまあ、かつての「辛党/甘党」などという区分などすでにどっかへすっ飛ばされた潔さだったわけだが、あれも思えば「白いクリーム」をうしろめたさなく、心おきなく摂取していい、という免罪符をどう合理的に獲得できるか、という消費者側のココロの敷居をうまく解除してくれるたてつけになっていたのだろうと思う。

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 本邦で割と早くから身近な「洋菓子」のひとつになっていたはずのあのシュークリームにしても、もとはカスタードクリームだったはずなのだが、生クリームないしはホイップクリーム(しつこい)をあわせて入れるようになり、最近はカスタードを押しのけて生クリームないしはホイップクリームだけのものも普通に並ぶようになっている。

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 個人的な記憶に限れば、確か小学生から中学生くらいの頃だから1970年代の前半から半ばくらいの頃、当時住んでいた阪神間の阪急沿線駅前の小さな洋菓子店のシュークリームに、この生クリームを入れたものが新たに出現していたような気がする。店の名前は「エルベ」。それだけで何か贅沢感というかステキ感が格別で、まわりでもそれなりに評判になっていたはずだ。それは同じく当時、地元のスーパー(生協だった)の店頭で売られていたソフトクリームが、それまでの3倍くらいの分量の「おばけアイス」というメニューを出して、これもまたガキ共の間で人気だったことなどとあわせて、「白いクリーム」の魅力が少なくともその頃、すでに何かあやしいチカラを発揮しつつあったらしいことをうかがわせる記憶になっている。

 なのに、どういうわけか、その「白いクリーム」そのものを思うがままにトッピングできるようにしつらえられているスプレー式の商品、いかにもアメリカ的な「文句あるかよ、あるわきゃない♬」的なシロモノでミもフタもない感じを受けるあれらは、しかしこと本邦の食物商品市場ではそんなに存在感を増しているわけでもない。国産化されたものだけでなく、モロに輸入品のデカいやつもコストコでも最近は売られているものの、そう売れている風にも見えないのはさて、どうしてなのだろう。どうも記憶の底を探ってゆくと、あの「白いクリーム」だけをただそのために心おきなくスプレーで使いまくる、というのは、とにかくそうそうやってはいけないような究極の贅沢、ある種ムダ遣いの最たるもののような「バチあたり」「もったいない」「烏滸がましい」などの感覚がすんなり引き出されてくるような行為だったようなのだ。古い世代ならば「冥加がおそろしい」とでも言うような、そういう感覚。

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 「白いクリーム」で連想するなら、まず「練乳」というのがあった。コンデンスミルクというカタカナ表記で売られていたが、あのへんが「白いクリーム」幻想の原風景だったかもしれない。

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 あれをイチゴとあわせた「いちごミルク」という喰い物あたりは、おそらくそういう「白いクリーム」が戦後の本邦その他おおぜいの意識に刷り込んだであろう何らかの幻想なり夢なりを、喫茶店の「パフェ」などでなく、最も身近な台所の食卓でささやかに実現できるようにしてくれたものだったような気がする。もちろん練乳、コンデンスミルクをかけるのは贅沢だったわけで、多くは「牛乳」で代用していた、だからこそ「いちごミルク」の呼称になっていたのだが、ただそれ以前にまず、イチゴをそのまま生で食べるのでなく、わざわざ牛乳なり練乳なりをかけて、さらにその上それをつぶして食べるというスタイル自体がもう、身近な非日常感を醸し出してくれるものだったのは記憶の裡でも裏づけられる。そういういちごの喰い方のための「いちごスプーン」が最初に発売されたのが昭和35年、1960年らしいから、その頃すでに「いちごミルク」(と呼ばれていたかはわからないが)といういちごの喰い方は普及し始めてはいたらしい。

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www.nikuine-press.com

 さらにその味と意匠とが「いちごミルク」という新たな名前を獲得して、ガキどもにとってもっと身近な菓子のテイストに入り込んでくるのが1970年。

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 ああ、こうなるとあのサンリオを一躍、キャラクター商売に覚醒されることになったとされる「いちご柄」問題にまで波及してくるなぁ、というわけで、「白いクリーム」から例によってとりとめない連想妄想連関想起をやってみた次第。もちろん「結論」などはない、あるわけもないので、継続検討&審議なお題の備忘録としてとりあえず。

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「論壇」は復活しない

 こういうと悪いけど、どういうコマを揃えようと「論壇」は恐らく復活しない。今の人は「論客」の意見をありがたがって聞くというより、自分でネットで(拙い意見でも)発信し、その中で人と(拙くとも)議論する、というほうに楽しみを見出す。実際、論壇誌とか今買ってる層の多くは後期高齢者ですよ


 多分「頭のいい人や偉い人の意見を幕の内弁当的に並べれば、一般の人がありがたがって読む」という“論壇的ビジネスモデル”は今後機能しない。これからの「論客」は、ネットなり何なりの中の「有象無象の議論」にエサを与えピエロ的に立ち回れる人で、現に有名ユーチューバーとか大抵そのように感じる。


 例えば「今スクープやっても収益に結びつかない」とは本当によく言われるんだけど、それは「○○氏が不倫」というニュースがあったとして、今の人は「その情報が欲しい」というより「その情報をネタにあーだこーだ(ネットなどで)言いたい」欲求の方が強いからで、一行情報でよく、雑誌買わないのだ。


 以前、詩人だという人に「今の日本で詩集を買う人はプロ・アマ問わず大抵が自分でも詩作をする人で、純粋な読者は少ない」なる話を聞かされたのだが、時勢論も恐らくそうなりつつあって、「論壇」的なものに触れたい人は自分も何か言いたい人で、黙って拝聴する人は少なくなっていると思う。


 自分は以前、いわゆるネット右翼的思想を持ち、街頭活動などをしてる30代くらいの人と話をしたことあるんだけど、日々ネット上の政治論争はがんばってるけど、正論とかWiLLとか、ほとんど読んだことがないと言っていて、こりゃあメディア商売としてはヤバいと思ったけど、覆す方策も見当たらない。

 「論壇」という言い方自体、「文壇」などを下地にして派生的にできあがって使われるようになってきたものだったはずで、それでもあまり一般的だったとは言えなかったのが、ここ20年くらいでやたら普通に使われる単語になってきたのは前々から気にはなっている。

 おそらく、あの「ゴー宣」あたりで一気に広まったのかも知れないが、それに乗って当て推量するなら、それこそ『朝生』などで「討論」「議論」をある種の見世物、マスメディアの舞台でのショウコンテンツとして提供されるようになってきたことで、そのような場で何かもっともらしくものを言い、議論を戦わせるという態であれこれ演じてみせる言論プロレスラーたちが、これまたある種の芸能人として人気者扱いする場ができてきた、それらの経緯などとも関連してのことだったようにも思う。「言論」とか「言論人」といった言い方も同様に、一般化していったような。

 要は、何か「もの申す」人たち、床屋政談のレベルを何らかの公共性、「公」の装いとたてつけとの中で言ったり書いたり暴れたりしてみせることで世渡りしている(ように見える)界隈、それらがそのような世渡りできている場が「論壇」という言い方であらわされるようになってきた。芸能人なら歌を歌ったり芝居をしたり、あるいはお笑いをやってみせたりと何か「芸」があってそういう場に立っているという理解だったものに、それら「言論」もまた、ある種の「芸」として受けとるような地続きの感覚がそれらを見ている世間、「観客」の側に宿ってきたということでもあるだろう。

 もともと総合雑誌というのがあった。これも時代によって意味あいが微妙に変わってきているのだが、この場の文脈で粗くとりまとめれば、活字でそれら「言論」をやるための場という意味は確かにあった。というか、その「言論」というのもそれ単体で使われる独立した単語というより、もとは「批評言論」というまとまりで使われていたものが、それらの領域が既成事実的に確定されてゆくことで、いつしか切り縮められて「評論」となり、また一方では「言論」にもなった、という経緯来歴もあるらしいのだが、それはともかく。

 

小林よしのりの功罪

 かつて小林よしのりに魅せられた若い衆が、その後そのままで未だに「信者」のままになっているような率は、巷間言われたり考えられたりしているらしいほどには、実際にはそう高くないと思う。で、それはそれでそういう時期に邂逅すべき読みものとして役割を果しているし、その限りでそれなりに意味あるものだと思っている、これはマジメに。それこそかつての本多勝一なんかとある意味同じような意味で。

 ただ、そういう読みものの類が昨今、ひろゆきホリエモンやDaiGOになっているのだとしたら、それはそのかつての小林よしのりやホンカツなどとは少し意味が違ってくるようなところは、確実にある気がする。

 うまく言えないのだが、それらの前提となっている〈知〉なり「教養」なり、そういう「いずれ身につけるのが望ましい、生きてゆくための知恵や知識≒ある種の良識」みたいなものが、そもそもすでに世代差を越えた地続きではなくなってる情報環境にもはやなってしまっているわけで、そのへんの違いは「若い頃くぐっておいた方がいいもの」という位置づけを、いまどきのそういう読みもの類からは喪失させてしまっているように思う。

 これは割と未だにひとつ話として言っていることなんだが、かつて地方競馬がらみでライブドアの幹部と農水省若手官僚との間を繋いだ時、見ているものはどちらもおそらく同じもののはずなのに、それを言葉にする文法その他たてつけの「違い」を決定的に思い知らされた「翻訳不能感」みたいなものにも、このへんは近いように思う。

 ある種の当時蠢き始めていたそれまでと違う〈いま・ここ〉の〈リアル〉。その頃のライブドアらが「経済」という言い方でしか表現し得なかった何ものかを、彼らとほぼ同世代な農水省競馬監督課の若い官僚も「見えていた」のは間違いない。間違いないのだが、しかし、その互いの見ているはずの同じものを言葉にして共有する前提もまた絶望的になかった、と。

 本来なら「ジャーナリズム」なり「評論」なりがその間を「翻訳」して示してゆくのが役回りだったはずなんだが、残念ながら自分も含めて、それを当時世間にうまく説明してわかりやすく提示することができなかった。金融経済的な「それまでと違うもうひとつの〈リアル〉」が隆起&前景化していった時期。

この すれ違い?通じなさ?言葉にして共有する前提がない。この際に具体的なやりとり 様子 もっと知りたいです。

あの当時のマスメディアの影響を知らないというのも時代何だろうけど、麻生コピペを出すまでもないし、民主党を夢想と因縁だけで与党にした時以上の力が有って、本当の真価が理解出きると思う。
コヴァと呼ばれてもあれ以上マトモなモノが一般に出回らなかったし、マスメディアも封殺していた程。

(^_^)ノ自分の事でしょうか?(笑)

思い出して顔真っ赤になるのでその話はここまでにしていただきたい。
悶絶して叫びながら転がりそうになる🙄

「若い時に共産主義に憧れるのはいいことだけどいい年してもまだやってたらタダのバカ」みたいな感じかな。小林よしのり本多勝一は確かにハシカみたいなもんだなあ。
いい年して免疫持ってないで感染すると大病になるのも似てるのだ。
精神に免疫を得る為の大切な牛痘的存在w

中間層の破壊・メモ

 永遠に緩和を続けて何の資産も持たない、給料日から給料日までかろうじて生きている人々を大量に作っています。貧富の格差を広げてミドルクラスを完全に破壊。こんなシステムはどこかで崩壊しますよ。政治的に大きく動く。


 よく考えて欲しい。むかしはCD買って、ビデオを買って、本を紙で買っていたけど今はすべてサブスクです。会員資格が消えれば何も残らない。資産をまったく持たない奴隷クラスをつくろうとしているとしか思えない。


 資産価格をずっと膨らますとそのうち庶民は家も買えなくなる。実質米国で起きている。投資ファンドがゼロ金利で調達した資金で住宅を買いあさって一般人に貸している。

 2 .3年前に新築買った新婚家庭は完全に破綻しますね。

 「給料日から給料日までかろうじて...」


(-""-;)ホントそれです。


 そしてカードで未来のお金を浪費してるから、未来が今になったときお金がなくて更にカード。


 呆れる。

 欧州はそこでコロナでロックダウンして身動き取れなくさせて、違反者に対して高額な罰金か、年寄りだろうが子供だろうが警察の手荒い扱いで、まるで封建制度の再来のようです。本当に嫌な世界になってしまいました

 「中間層」「ミドルクラス」といった言い方で指示されてきた何ものか。かの「一億総中流」の「中流」がその汎用一般的語彙として下位互換されていたのかもしれないが、すでにそのイメージ自体、歴史の彼方。

 けれども、本邦の当時の語彙として言うならば、その「中流」とは、何も社会科学的な分析の視点があって、その上でこれこれこのへんの「階層」のこと、といった見通しがあってのもの言いでは、絶対になかったと言っていい。ある漠然としたイメージとして、形象としての「社会」というのが何となくあったとして、その中でのおおむねこのへん、という程度。

 そう、その前からの世間の語彙で言うなら「人並み」という言い方、その「人並み」が「中流」という漢字二文字の熟語を見た瞬間に憑依してしまった、そういう理解の仕方をみんな横並びにしてしまった、そういう感じだったのだと改めて思う。その「人並み」のイメージがそもそも崩れてしまった。いや、崩れたというよりも、ある一定の幅で何となく想定されていたはずのそういう「人並み」の輪郭が、ぼやけてわからなくなったという感じなのだろう。

 加藤秀俊の名著のひとつ(だと思う、いまさらながらに)、『中間文化』に、戦後の本邦の「中間層」の形成過程が読み解きのように示されている。彼は、それが本格的に前面に可視化されてきた背景に、「マス・コミュニケイション」をあげている。「マス・コミュニケイションとう通信手段が、文化の中間的統一という方向を宿命的にになうものである」という言い方で、メディアと情報環境のたてつけの変貌によって、社会的な実体としての「階層」を乗り越えた、新たな共通性が形成され始めている、それが「中間層」という実体よりも、それらに共通しているように見え始めたある生活文化のありかたとしての「中間文化」の方に合焦してとらえることが、いま起こっていることの本質により近い――ほどいてみるならば概ねこういう理解をそこで加藤は示しているのだが、まさにその「文化」としての「中間文化」――つまり「大衆文化」と言い換えてもとりあえず構わないような内実を持ったものが、新たな「人並み」の実相として「階層」を越えてイメージされるようになっていったことを期せずして示してくれているように思う。「人並み」の更新、今様の言い方をするならアップデートが国民的規模でされてゆくことで、哀しいかなわれわれはその「人並み」のイメージにあてはまるように、膨れあがり始めた「豊かさ」任せに実際の日常生活を装ってゆくようになったらしい。