2024-01-01から1年間の記事一覧
ことば、が現実と紐ついていない、それが普通になってしもとる無自覚ナチュラル魔族な人がたが、実はもうすぐ隣にいくらでも生きている、そんな本邦社会になってしもとるのだと思い知らされる。 それなりにいいこと言っていて、見識も常識もまあ、あるように…
このところのゆるいなりゆきではあれ、詩と詩論界隈のものを割と読み直したり、また芋づるで新たに読んだりしていると、口語自由詩の普及浸透といわゆる流行歌の受容などが日常の場において地続きだった可能性についてあらためて考えてみるようになっとって…
身のまわりに古本雑本が山をなしていることは、もう何度も愚痴まじり、韜晦風味に言及してきているけれども、さてさて、これは果たしてこの先、どういう意味を持つガラクタの山になるのだらう、といったことも、先行き見えてくるような年回りになると考えて…
ある方が「CADを使って図面書けばもっと良いのに」と言ってくる。それはそうだろうけど、何故私が手書きで図面を書くのか理解してない。私がCADで図面を書くとその図面を持って他で相見積もりを取られて私のアイデアが盗まれるんだよ。私の手書きの図面はお…
しかし本邦、コロナ禍3~4年間の「被害」について、かなりきれいに忘れてしまっとるように感じるのは、やっぱり世界的にも対策が奏功して相対的にうまく抑え込むことができたから、というのが大きいんだらうか。 現実的にも、また映画なりドラマなり何なり「お…
僕の高校には、卒業論文があった。僕は「『不登校権』という人権があるのではないか」「主体性が成長するまで学校休む権利が子どもにはあるのではないか」「多様な成長のあり方が人にはあるのではないか」という趣旨の論文を書いた。指導教官は国語の先生だ…
まぁ“闇”ってやつを、これでもかと分かりやすく物語る好例ゆえ。矢面に立った2人は本体じゃない。片や吸われた大店(中に“お引き”や“草”は複数居る)の主で被害者(管理責任はあるだろうが)だし、片や“渡り”をつける鉄砲玉よりちょっと偉い末端に過ぎん。や…
時代が変わり、世代も変わって「民度」があがった、野蛮な習い性は薄くなった、という論。そういう事実が体感と共にあることを認めながら、しかし同時に、それが何やら別の不自由、考えなしの現状肯定の気分を漂わせながらの場合が少なくないことが、ずっと…
誰もが平等に気軽に安価に、多様で大量の「情報」に接することのできる情報環境がうっかり整備されてしまったことと、大衆社会状況における「バカ」「情弱」「衆愚」のありようの変遷、そしてそれらの状況を「逆手に取る」生存戦略の民俗レベル含めた普遍性、の問…
写真と映像(最近は「動画」か)の違いは、いろんな領域であれこれ論じられてきたけれども、編集前提で素材として映像を撮る場合と、テレビの生放送のように現場の映像を撮ってそのまま放送する場合との違い、というのは案外見過ごされてきているというか、正…
結局これも文芸の系統なのではないかと思います1992年のエロゲが先ですけど、マップ(街)を徘徊してイベントを探し回る、てのがドラクエ以降の表現上のフロンティアだったのは間違いないかと昔のあの文豪なら絶対ライティングしてるよな、とかなんとなく想…
はじめに言っときます。さっぶい自分語りです。読みたい方だけどうぞ。2年前、毎日言わなければいけない事があった。「書類不備なので全国旅行支援は適用できません。」言いたくない事だった。言われたくない事を言われるから。「聞いてない!」「有った事に…
脳に可塑性がある10代で、良い体験がないと、その後ハマりにくい。逆に10代で良い体験があると死ぬまで引きずる。ゲームなどの趣味で良く見られるけど、これたぶん異性にも当てはまると思う。10代で異性に良い体験がないから、性欲があっても結婚には繋がら…
「移民国家」めざすというのなら、百歩譲ってそれもあり、としよう。ただ、だったらなおのこと、まずそれに向けてどういう制度や環境整備をして、治安その他含めてのセキュリティ対策講じるのか、とにかく話はそれからだとしか言えんわ。— king-biscuit (@king…
一時期、接待兼ねてオタク系のガールズバー行ってた事があったけど客が女の子にドリンク出すの渋るの結構普通の光景な印象だった。昔のメイド喫茶もそうだったけど、オタクは実利が無いとお金出さないし、その辺りが女性からもキモいと思われてる感あった。—…
世の中の大人は穀潰しタワーの住人と違って「こういう所の出身者を採用したら、自分の会社でも同じように政治的主張を合意無く窓に貼り付けたり『戦争反対の署名お願いします』の迷惑メールを職場の部署全員ccで送ってくるかもしれない」と考えますよ。煽情…
「専門性」ということを、あらためて考えてみている。 とりあえずは学者研究者、昨今の言い方に倣えば「アカデミシャン」というあのけったくそ悪いもの言いになるのだろうが、良くも悪くもそういう立ち位置を方便としてでも取りながら世渡りしてきた身ではあれ…
中学高校の頃からショート動画で育ってる子らが90分の授業ずっと座って聞いてられへんのは当たり前やし、そら映画かて早送りで観よるで、って話をしていた。それにいまは大学の学費も高い、親も昔ほどゼニ持っとらん、バイトせなあの子ら大学行かれん、その…
戦前、当時の映画雑誌が家の中にあるのは、姉がいるような家の子どもだったりしたらしいこと。いわゆるサブカルチュア、「通俗」とは〈おんな・こども〉を介して日常生活に浸透していった部分が実は大きかったらしいこと。 大正教養主義的な〈知〉wのありよう…
地上波テレビを半ば習慣的につけっ放しにしている家庭、まだ割とあるかもだが、映像以前にそもそも流れてくる音声が若者含めた〈おんな・こども〉系の「笑い」「嬌声」が主で、男女不問で「おとな」の落ち着いた声が少なく、さらには不機嫌な声や怒声などもきれ…
ある種の少年マンガ的、あるいはもっと言うなら戦前の少年倶楽部&大日本雄弁会講談社的な英雄主義――その背後には浪曲その他の勃興期大衆社会状況下の大衆演芸などの水脈もあるのですが、何にせよそれらの脈絡の上に「司馬史観」も「島耕作的ヒロイズム」もあ…
#漫画 #漫画が読めるハッシュタグ 再会した幼馴染がフェミニストになってた(1/10) pic.twitter.com/w7kAg8EfqK— 坂本寺 (@delasakamoto) 2024年4月30日 これ凄いわかる。10代20代のいろんなもやもやの答え合わせが30代を過ぎてできるようになる。物事への解…
「話し合い」「対話」「議論」で何か事態が好転したり問題が解決したりした経験、あの小学校の教室このかた、まずないままのような気がしている。そういう「学校」における「話し合い」のやり方やその場の雰囲気、そこで使い回される言葉やもの言いなども全部ひっく…
「文学」というあらかじめ決められた枠組みに対する信心を、ほとんど素直に持たぬまま生きてきていることは、何であれ日本語の散文表現としての「書きもの」をそのような枠組み抜きに「読む」ことをできるようになっていたという意味で、まあ、ありがたいことだ…
「文意の接続に必要な説明と描写を大胆に省略する技法を一応修得。省略部分の映像は、読者の想像力にまかせて、事実の列記を積み重ねるのみの文を継続させてゆく。そして、それがあたかも視覚的な映画のひとこまのように互いが組み合され、構築されてゆく。」…
最近、あらためてわからなくなっているのが、小説と随筆の違い、というやつ。 散文で書かれた(もちろん日本語で、という前提だが)文章であるなら、とりあえずどんなものであれ「読む」ことはできるわけで、その文章が小説なのか随筆なのか、エッセイなのかコラ…
団塊世代から僕らバブル世代まで、不良を気取る男というのがたくさんいて、その弊害が大きかった。氷河期以降の世代ではそういう男が減ったのはよかったが、逆に道徳シグナリングが蔓延してきた感じがある。極端から極端に振れてるが同じ根っこの層がやって…
以前、エアコン買いに来た親子と思しき男性3人組。父親と思しき人が床屋をやっていて、店に付けたいとの事。受付をしながら「親孝行ですねぇ」と言ったら、息子と思われた2人が目を合わせて口を揃えて、「はぁ?親子?俺たちは床屋の客だ」と。— 飴308@2㌔マ…
給与手渡しの思い出2等空士の頃、教育隊や術科学校などで教育中はお給料は手渡しだった。その日は午後から教育を中断して給与支給、仕送りなどする者には2時間程度の制服での外出が許可された。振込できる便利なATMなんてまだなかった時代のこと、銀行や郵便…
https://x.com/NbUPxcmseXTs3wf/status/1776553540716208567?s=20 わたくし学生時代にナイトクラブで女給をしており、企業会長から八○三の方まで、色々な人間を見てまいりました。 その経験から半グレと本職の方の違いを申します。一般論です。 半グレの方と…