文学

雑書の行く末、のこと

大学に拉致されたまますでにほぼ3年、いずれやくたいもない雑書の山なれど、裁判の決着がどのようになるにせよ、来年3月には泣いても笑っても定年の身の上、研究室と学科実習室にあるそれら雑書古書からVHSビデオやらその他LD、DVなどのレガシーメディア再…

「火垂るの墓」異聞

今更火垂るの墓が話題似、なっているみたいなので個人的な感想を初めて見たのは中学生の頃で隣のクラスの学級文庫に入っていた(恐らく先生が入れた)物を読んだ自業自得との想いは持たなかったが、主人公に対しては怒りしか持たなかった— 那須 銀蔵 (@Nasu_si…

「無法松の一生」について

*1 先日、三浦小太郎さんが、かつて自分の書いた「無法松の影」という本をとりあげて、えらくほめてくださっていたんですが、それを受ける形で、今日はその素材になった「無法松の一生」の話をしろ、ということなので、少しお話しさせていただきます。 というの…

正解批評主義・メモ

この評論に過剰な拒否反応を示す引用リツイートみてると、昨今の「批評嫌い」の一因が理解できるような気がする。つまり作者の想定してない(であろう)読解を「不正解」と見做してるようだ。私はむしろ筆者の誤読と偏見で生まれる見解こそが批評の醍醐味だと…

ルンバが死んだ

ルンバが死んだ。老衰した犬の様にヨロヨロ動く円盤はガタンという異音と共にこと切れ、ボタンを押しても、電源ケーブルを直挿ししても、電池を入れ直しても何も反応しなくなった。我が子の誕生とともに我が家にやってきた掃除ロボットの最期はあまりにあっ…

労働の現場と朗読、そして本・メモ

朝から晩まで煙草の葉を巻き巻き。こんな単純作業もうイヤッ。そんな労働者の為に雇われていたのが「葉巻工場朗読屋」でした。米国やキューバで活躍した彼らは新聞や小説を工場で高らかに読み上げ退屈な作業を楽しいものに。しかしラジオの登場とともに彼ら…

「うる星やつら」リブートと「内面描写」のパラドクス・メモ

そう言えば、「令和版うる星やつら」で内面描写が無いとの話があったけど、80年代のうる星やつらで押井守のアレンジでメガネなどが自分語りするの、あれ、原作が内面描写を端折ってたのを、当時の「物質が豊かな時代」のアンチテーゼとして、精神性も大事に…

ポリコレ有色プリンセスへの異議・メモ

ポリコレプリンセスが嫌われるのは有色人種だからじゃなくてプリンセスじゃないからだと思う。有色人種の子供だってコッテコテのプリンセスに対するニーズを満たして欲しいのにポリコレ的な言い訳パート、例えば見た目じゃないとかを混ぜ込むから、有色人種…

伏線とフラグ・メモ

小説読者がやたらに伏線とその回収を重視している傾向について考えていたのだけど、どうも最近のあれ、伏線じゃないんじゃないかと思えてきた。じゃあ何かというと、フラグです。— 太田忠司 (@tadashi_ohta) 2022年8月4日 小説読者がやたらに伏線とその回収…

あたしのビートルズ

6年4組のみんな、卒業おめでとう。最後に先生から話をします。イオンとドンキしかない国道沿いのこの街を捨てて東京に出て、早稲田大学教育学部からメーカーに入って、僻地工場勤務で鬱病になって、かつて唾を吐きかけたこの街に逃げるように戻ってきた先生…

若い日本の会、関連

ようやく「若い日本の会」世代の時代が終わるのか。長かったなー。— 仲俣暁生【自発的に凍結中】 (@solar1964) 2022年2月1日 ようやく「若い日本の会」世代の時代が終わるのか。長かったなー。 ある雑誌で谷川俊太郎にインタビューした際、石原都政批判の流…

タワマン文学、精華

*1 *2 https://twitter.com/63cities/status/1465842784850509827 新居で迎える初めての朝。田町駅徒歩13分。家賃10.2万。築10年ほどの狭小1K。せっかく東向きについた窓からはろくに朝日は差し込まず、ただ隣接建物の白く冷たい壁面ばかりが見える。最大限…

生まれは温泉街

https://twitter.com/sanjou_keihan/status/1461270363334066176?s=20 私の生まれは温泉街で、秘宝館こそないものの、幼稚園の頃までは街中にストリップの小屋があった。店の前には、いつも怖いおじさんが長い木の棒を持って立っていて、子供が寄らぬよう店…

房州権太、大槌屋になること

【思いつきツイッター小噺】房州の田舎に生まれた権太は幼い頃から性悪粗暴で、長ずるにつれ悪い仲間とつるんで強請りやたかりのような真似を繰り返していた。両親や親族が何度も権太を窘めようとしたが、その度に人並外れた怪力を振るい、まるで耳を貸そう…

タワマンノベル、実家編

「たかし君は正月は来れないのかい?中学受験ってのはよく分からんけど、小学生からそんなに勉強する必要があんのかねぇ…」。老いた母の背中は記憶の中のそれよりずっと小さく、皺だらけの肌は干し柿を思わせた。「何言ってんの、東京じゃ当たり前よ!」動揺…

メシマズ家庭の記憶

メシマズの人って、祖母がそうだったけど、手順に従わないで手を抜こうとするなんてのは序の口で、余計なことするからダメ。おでんの具に色がつくぐらい煮込むなんて絶対無理で、小学生だったわしの机をあさって水彩絵の具で色をつけてたからね。開き直って…

「ポプラ」の記憶

ポプラという九州中心のコンビニチェーンでは売ってる弁当のごはんスペースが空で、購入するとレジ後ろの炊飯器からほかほかのご飯を盛ってくれる。+30円で大盛にできる。店にもよるがこんな感じ。 pic.twitter.com/C4ef1Jg1tb— ピンフスキー (@hideyosino)…

あるおもちゃ屋のはなし

(1/2) むかあし、サザンの街にあった伝説のおもちゃ屋の話です。遊びに来てくれた当時のちびっこたち、ありがとうございました。 pic.twitter.com/WioaJTVVfD— りあら@移住8年生! (@Reala_k) 2021年9月17日 近々続きを描きますー!! 沢山の方に読んで頂…

CR共同幻想論、の妄想・断片

*1 今みたいな情報環境で「画像」「動画」が使えるような状況だったら、丸山真男であれ吉本隆明であれ何であれ、「思想」も「論壇」も今わしらが「そういうもの」と思うてきとるようなカタチにゃビタイチなっとらんかったろうな。 「西田幾太郎が、丸山真男が、吉…

ポスモ・ニューアカのカウンターとしての90年代文化・メモ

90年代の文化は、80年代の「ネガ」として自分たちを位置づけていた(その「ネガ」がようやく日の目を見た)という「露悪」に彩られていたと思います。80年代の軽薄さの裏返しとしての湾岸戦争の「反戦」表明、ニューアカの裏返しとしてのオウムの糾弾ないし…

ディストピアマニフェスト

川端康成の伊豆の踊り子や島崎藤村の夜明け前の書き出しくらい声に出して読みたい日本語だな pic.twitter.com/jqOchQXokr— ワン・チャン・アルディ (@WangChangHardy) 2021年7月5日

立花隆「知の巨人」への違和感・メモ

https://anond.hatelabo.jp/20210623205102anond.hatelabo.jp 立花隆にはいくつかネット関連の本がある。基本的によくある「誰でも好きなことを発信できるのがすごい!」みたいなのだったけれど。皮肉なことにネットによって立花隆みたいな「いっぱい本を読…

〈おんな・こども〉の領分の伸長の「戦後」史・メモ

〈おんな・こども〉の前景化、主体化というのが、制度のたてつけなどと共に、あるいはそれ以上に先廻りして人々の意識の側からなしくずしに行われていったのが「戦後」の生活環境におけるある本質的な変化だったとおも。 概ね昭和20年代から30年代いっぱい、4…

近代文学と情報環境・メモ

文字活字の「読まれ方」というのが、その当時の情報環境とそれに伴い編制されていたはずの言語空間において、加えてその頃生きていた生身の身体とその身体性を介してどのようなイメージなり創造力の結果なりを宿していたのか、という問題。#わけのわからない…

戦前から戦後へ、左翼的〈リアル〉への追及の仕切り直し

児童文学の側での、そういう「戦後」の始まり方。 「戦争が終わったときに、ぼくは山中峯太郎の本などを自分の日記と一緒に燃やしているんです。あとになって、民主主義で山中峯太郎が書けないだろうかという、非常に教条主義的な発想がありました。」 「『赤…

職場をまわす〈リアル〉・メモ

地元在住の写真家藤井豊君が、暗室で使っていた冷風扇と食料を届けてくれる。震災後の東北縦断行脚の経験から、疲労時には取り敢えずカロリーメイトで持たせろとのアドバイス。アマゾンの倉庫労働での近況をたっぷり聴く。意外にも、働き易い職場だとか。ス…

『クレア』の時代・メモ

今は昔、90年前後の女性誌『クレア』とか『マリ・クレール』って、バブルっという条件もあったけれど、広告さえ載っけておけば、後は編集者の自由裁量で、かなり好き勝手なことが出来る雰囲気があった。両雑誌でかなり方向は違ったけど、前者には昨日のツ…

かつて「文学」と呼ばれたもの

かつて「文学」と呼ばれていたものは、何も小説や文芸批評だけではなかったというあたりのことから、もうすでに「昔話」になってしまっていることを前提にしなければならないんだが、な。 自己形成(この言い方ももう錆びかかってるが)のよすがとして、若い衆時…

ささやかな文学

>RT公園で寝て落ち葉まみれで「葉っぱ婆さん」というあだ名のホームレスが、昔バイトしてたファッションビルに時々現れた。しばらく兎のぬいぐるみやアンティークのブローチなど眺めてると警備員に追い出される。葉っぱじゃなく可愛いものやキラキラしたも…

関川夏央の記憶・雑感

「二十代のころ、わたしは関川夏央の文体を真似した失敗作をたくさん書いた。深夜、阿佐ヶ谷のファミレスで原稿を書いた。恥ずかしい過去とは思っていない」文壇高円寺『二十八年前』僕らが10代終りから20代になる80年代の終わり、バブルの影に隠れて…