「おはなし」が四六時中に・メモ

 四六時中好き勝手に、何の制約も加えられずに「おはなし」と、ほぼ全開放で自由に接することができるようになったいまどきの情報環境、と、例の「いまどき善意&正義ごかしのもうひとつの歴史修正」との関係について。*1

 口頭の伝承、昔話であれ伝説であれ世間話であれ、いずれ話しことばを介して耳から入るものから、文字/活字を介した眼をくぐって「読む」読みもの、小説であれ読みもの文芸、そこに絵づらが加わりわかりやすくなり、さらにはそれが動きはじめて活動写真から映画に、その脇では「うた」と「語りもの」とが互いに影響しあいながらさまざまな芸能に、講談落語に浪花節、女義太夫に、舞台は舞台で昔ながらの歌舞伎からムラの地芝居、マチの俄などに加えて西洋わたりの芝居が入って新派芝居から戯曲つきの新劇や歌舞音曲入りのオペラや少女歌劇、レビューにアチャラカなどなどさまざまに転変しながらやはり「おはなし」の媒体として転がってゆき、いずれ近代このかた現在に至る履歴来歴のよしなし流れの中、で、ある時期まではそれなりに守られていたはずの「おはなし」が存在する/できる場なり関係なりの仕切りがなしくずしにgdgdになっていった経緯、ってのもあって、特に戦後このかた、高度成長から昭和後期にかけての激動をくぐった後の平成の時代を通して、それらの経緯がいろいろ悪さしとているところがあるような気がする。それは、昨今少しずつ顕著になってきとるフシもある、それこそずっと気になっている〈いま・ここ〉からの「歴史認識」のありようなんかにも。*2

 われらポンニチ、この難儀な日本語を母語とする環境で、しかもうっかり近代なんてものをおっぱじめてこのかた、そもそもおのれらの生きとる「社会」≒「現実」≒〈いま・ここ〉をどのように〈リアル〉にしてゆこうとジタバタしてきたのか、ってハナシなら弊社若い衆相手であれなんぼかやってはきとるけれども、そういうお題の脈絡でもこの「おはなし」の生きる生態系としての情報環境の変貌という補助線は、ないがしろにできないものになっている。

 そう、虚構でもフィクションでもいいが、いずれそういう「おはなし」には、それが明確に見えたり聞こえたりする時も場所も、それなりに仕切りがあったのだ。たとえば、マンガは子どものためのもの、という仕切りがはっきりあったとし、その上にさらに学校などには持ち込むこと自体いけない、といった約束ごともあった。けれども、ある時期以降、そういう仕切りはほとんど考慮配慮忖度されない/できないようになっていったらしいことは、日本語環境での「おはなし」一般の生態系、生きて活力あるかたちで棲息できる環境の大きな変化だったのだと思う。そういう意味で、虚構フィクション「おはなし」の〈リアル〉を、ナマモノすっぴんそのまんまの現実現在日常の〈リアル〉でいきなり裏付けようとするのは、少なくとも〈知〉の土俵でそれらを考えようとする際に限ってみても、いろいろと気づかぬ間にあらたな間違いが起こってしまう元だと思う。

 

*1:言い換えれば、「おはなし」もまた、時と場所を限って立ち上がるものだった、というあたりまえ、が忘れられてしまって久しいことの弊害について、ということになるんだと思う。

*2:近現代史の間尺で、しかもそれらを〈いま・ここ〉の「現在」からさかのぼるように理解しようとしてゆく動きが、特に教育がどうこう以前に世間一般その他おおぜいの気分として静かに強まってきているのは確かだし、それは基本的に喜ぶべきことだと思うけれども、ただ、同時にしかしそれらの「わかる」への動き方にここで言うような情報環境と現実の関係、そしてその中で生きる生身の人間存在たちが共有してゆくものとして初めて立ち上がるはずの〈リアル〉の水準についての理解の仕方が、そもそもの前提として窮屈で不自由なもののままにそれら歴史の探求沙汰へ向かっているような印象がものすごく強くなっている。