「地方」「イナカ」「農山漁村」が存在しない「日本」像

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 大衆社会の〈リアル〉を、自前でことばにしてゆくのでなく、それより先に洋モノ輸入品メガネを介してああでもないこうでもないと言い合う芸風、それはそれとして、同時に手もと足もとのポンニチ文脈でその「公共」なり「世間」なり何なりがどう維持され変遷してきとるのか、を見事にガン無視スルーするようになっていった過程もあるらしく。それこそ、かのフランクフルト学派でガン決まりな手合いがフツーに湧いてくるようになってきたあたりからそういう傾向、露わになってきた印象が。そしてその後は、ポスモの津波喰らってカルスタ沼になだれ混んで澱み腐ってゆくまでがお約束だったというか。

 ある時期までのそういう輸入モノ大衆社会論メガネは、それをかけて使う側にしても、たとえ作法上としてでも本邦ドメスティックな〈知〉の文脈との摺り合わせを否応なく考慮せざるを得んような約束ごとは共有されとったと思うんだが、そういう「日本」ドメスティックの文脈自体初手からスルーされるようになっていったガクモン環境……社会経済史や農村社会学その他、そういう「下部構造」を前提として成り立っていたはずの領域が後退していった過程とも概ねシンクロしていたような気はする。

 「都市」的環境自明の前提史観、というか、「上部構造」自明の優先史観、というか。

 日本語環境での人文社会系の文脈での「日本」「社会」イメージが情報環境の変遷などともからみながら、そうとあまり気づかれんままにうっかり変わっていった過程、というのがあるはず。そのへんの連続/不連続に対する説明/解釈が「新しい解釈が正しい」「旧世代老害脳乙」的片づけ方一択で流してゆくモードもまた、露わになってきとるような気もする。

 「地方」「イナカ」「農山漁村」が存在しない、少なくとも少し前までの「昭和後期/戦後」な脈絡で想定されとったような姿カタチ輪郭では考えられとらん、そういう「日本」「社会」の全体像がインテリブンカジン意識高い、な界隈の意識感覚の視野視界にあたりまえに投映されるようになっていった過程。

 ま、ぶっちゃけ「トーキョーエリジウム」脳とそれが棲息する/できる情報環境の自明前景化、ってことなんだろうが。

*1:懸案の「(善意でマジメな)もうひとつの歴史修正」に関わってくる下ごしらえの一環として、備忘録