ショッピングモール、という経験

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むかしの日本にはイオンモールが無かったのでナイーブなひとたちはわざわざハワイのアラモアナSCまで出掛けて死にものぐるいで買物をしていました、イオンモールができると田舎の象徴とバカにし始めました、一度失った純朴さは元には戻りません。

https://twitter.com/TakagiSota/status/1052323806415532032

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 ショッピングモール、を初めて意識したのは80年代の末から90年代始めだったか、神戸は元町のハーバーランドにできたモールだった。確かダイエーがこさえたとかで、パレットタウン、とかいった記憶があったけれども、確認したらそれはお台場のモールのこと。あれ?じゃあ、あの神戸のモールの名前はなんだっけ、といまどきのweb環境まかせにあれこれ検索かけてみたけれども、はて、わからない。キャナルガーデンだのハーバーサーカスだのいずれカタカナ表記のオシャレな、そして今はなくなってしまったという施設名はいくつか引っ張れたけれども、どれも該当しなさそうで、確か当時その景観が異様に感じたのでわざわざ写真に、それも当時のこととてリバーサルフィルムで撮ったものがどこかに埋もれているはずだから、それを確認できれば細部含めてまた記憶が甦るのだろうが、考えてみたらすでに四半世紀も前のこと、ことほどさように直近地続きの記憶というやつはとりとめなかったりする。

 アラモアナショッピングセンター、なんてのはそれまでハワイに行ったこともなかったし、何となく聞いたことはあっても実感はまるでなし。固有名詞として耳慣れるようになったのも極私的にはモダチョキのCDあたりからで、それが当時の本邦同胞にとってどんなに衝撃的なものだったか、はわからなかった。

 だから余計に、神戸のそのモールの「異様さ」は鮮烈だった。天井ガラスのアーチの空間に、確か二階建て仕様の回廊方式で店舗が並ぶといういわゆるモールの定型で、規模は昨今の感覚からするとささやかなものだったとは思うのだが、しかしそれでもまだそういうモール空間というのを実際に経験してなかった身にとっては、何というか、うわぁガイコクっぽい、とすっぽんぽんにびっくりしてしまう、そんなシロモノだったのだ。

 その頃、すでに同じく異様なものになり始めていたラブホの外観なども撮ってまわってたから、そういうある種のキッチュというか、「都市」化の風景を記録しておきたいと思っていたのだろう。それはその少し前、アメリカから船荷で持ち帰った民俗学やら社会学関係を中心としたあれこれの本の山のうちに、景観としての「都市」を扱うものがいくつか混じっていて、それはいわゆる研究書専門書ではなく普通のライターやカメラマンなどがこさえた写真集みたいなものだったりもしたのだが、それらに刺激されてのことという側面はあったと思う。と同時にそれは、「郊外」「ロードサイド」の風景に合焦してゆき始めていた当時の同時代気分にもどこかでシンクロしていたところはあったのかも知れない。

 とは言え、その神戸のモールの「異様さ」は、単に「郊外」「ロードサイド」的興味関心とそのまま重なるものでもなかったかも知れない。当時の印象を自分の記憶の底から改めてさぐってみると、笑ってしまうくらいにむき出しにキラキラしていて、それこそディズニーランドみたいな嘘くささがあっけらかんとあふれていて、当時猖獗を極めていたはずの「消費」の気分へ誘導するあらゆる仕掛けやからくりがそこにミもフタもなく詰め込まれて具体的な空間として表現されている、そういう「異様さ」だった、と言えばいいだろうか。実際、ひとり笑いながらカメラを構え、それらの「異様さ」ごと何とかとらえることはできないか、と考えていたような気がする。

 いわゆる大店法がまだ生きていた頃だから、昨今のあの情け容赦ない広さで展開するようになったイオンモールのような「地元」まるごとぶち壊してゆくような破壊力はない。というか、立地自体が「ロードサイド」ではない、限られた特殊な場所での言わば観光施設的な意味あいが強い文脈でのものだった。そう、「観光」としての買い物、という経験ができる、そういう施設としてのショッピングモールのある本質をぎゅっと凝縮して示してくれている、それゆえの「異様さ」だったのだろうと、今になって思う。あるいは、「しらじらしさ」と言い換えてもそう間違いではないような。

 そういう「観光」としての買い物、が本格的に日常化してゆくのは、大店法が廃止され、全国どこであれイオンモール的な空間が日常の生活空間と地続きに設営されてゆくようになった今世紀に入ってからのこと。日々の暮らし、衣食住の「実用」に結びついたところで行なわれていたような買い物すらもが、どこか「観光」的目線や意識を介して行なわれるようになる。当時、その神戸の今からすればちゃちなモールに濃厚に感じた「異様さ」「しらじらしさ」とは、そういう虚構性をむくつけに押しつけてくることに対する違和感、距離感だったのだと思う。

 

 

*1:「郊外」「ロードサイド」論関連のお題の周辺から、極私的な記憶を引っ張り出しつつ