「玩物喪志」とおたくの初志

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 デジタルコンテンツと化した「情報」のアーカイブの存在があたりまえの前提になっている昨今の「おたく」というのは、すでにかつてのおたくじゃないような気がする。いや、別に根拠とかリクツとかじゃなく、素朴な体感直観印象として。本やレコードやCDをブツとして集めて貯め込むこと、と、いまどきみたいにクラウド環境にデジタイズされ「情報≒データ」化された文字や音楽や映像が集積されているところにモバイルも含めた端末介して四六時中アクセスできること、とは本質的に違うところあるんじゃないか。

 じゃあ、図書館みたいに一定の「公的」「一般的」な基準で分類排列されとる書棚にも同じような感覚持つかっていうとそれもまた少し違うような。「自分」の分類排列基準で、というのがかなり重要なポイントだったりするかも知れんわけで。そのわがままを貫徹できる「量」の限界も当然あるんだが、でもそういう限界も含めて、おたく的玩物喪志の守備範囲というか身の丈ドメスティック環境はあるんじゃないだろうか。敢えて言うなら、その「玩物喪志」(悪い意味だけでもなく)が、ある時期までのおたくの本領、だったりしたと思うんだが。

 なんでこんなことを考えるようになっているかというと、9月の地震で仕事場の書棚が半分ほど倒壊、日本ファイリング謹製の標準書架7基分+α(その他軽便な書棚)の古書雑書書籍の山が狭い部屋中にばらまかれて土石流ならぬ書籍流として分厚く堆積、発生が未明だったからよかったようなものの、もし昼間そこにいたら間違いなく下敷きになって大けがくらいは必定の惨状になったんだが、その復旧整理を少しずつずっとやっているのがきっかけらしい。倒壊した書架はとりあえず業者にお願いして何とか元に戻してもらい、今度は壁と書架間のブームだけでなく床にも直接アンカー打って耐震使用を強化した中に書籍流の残骸をもう一度棚に戻すことをしているうち、本そのものは概ね書架に収めなおせたものの、さて、その排列配架の具合、つまり書棚に並ぶ背表紙の並び方をもう一度元のようになおしてゆくことが予想以上に骨なことに気がつかされたからに他ならない。どういうことかというと、書架の書棚に具体的な背表紙がずらり連なるそのありさまを日々眺めていた、その経験の積み重ねの中に宿る何ものか、ってのもあったらしいということ、なんだが。

 何をいまさら、図書館でも何でもいずれそれらアーカイブの類は分類排列が命、「使える」かどうかはそこが常にあるべき状態にメンテされているかどうかじゃないか、と嗤われるだろうが、そういう一般的な意味とは別に、ただの個人が何かそういうブツを貯め込んでゆく中で自然にその「自分」にとって使いやすいように、別の言い方をすればそれらブツの群れを「使える」ように意味づけ関係づけながら構築してゆく、そういう意味での分類排列というやつのこと。傍目からは道楽好き勝手に突っ込んであるとしか見えないはずのその中に、でも何かの利便性、当人にとっての「使える」という「実利/実用」に根ざした何ものかが確実にあるということを、改めて思い知って考え直してみるきっかけになったらしい、ということである。

 これがもし、具体的な古書雑書というブツでなく、デジタイズされた電子書籍、それこそ「情報」化されたアーカイブだったらどうなんだろう、ということを考えた。それだったら地震で倒壊、書籍流など起こらんわ、というツッコミはさて置き、たとえば、モニタ画面に映し出される「情報≒データ」にしても、それらを「使える」ためにはそれなりの分類排列はされているわけで、キーボード叩いての操作を介してそれらのアーカイブなり何なりを「使う」ことを日々しているだろう。けれども、それが機器の故障や不都合などでバラバラになってしまった場合、それを復旧してゆく時のよすがとして何があるのだろう。それらデジタルデータを扱うのが仕事のサーバ管理なり何なりの人がたに尋ねてみればいいのだろうし、またもちろんそれが仕事である以上、設定や仕様について復旧すべきポイントや状態をはっきり示す「原点」はあるのもあたりまえに理解できる。

 ただ、それは書架の書棚に並ぶ背表紙の並び具合とそれを具体的にそのように並べるに至った「自分」の中のある種の世界観や価値観、「使う」ことを想定したそれらのものさし基準標準というやつに匹敵する何ものか、と同じものなのだろうか。デジタルアーカイブに対してもまた、それをメンテし管理する立場の仕事においては、ブツの集積としての書架に対するのと同じようなありようと意味あいとで管理する人がたの裡に構築されているものなのだろうか。ハードディスクなりサーバーなりの中のそれら「情報」の分類排列の秩序が失われてしまった場合、それを復旧してゆく基準になるのは、あらかじめ自分の外側にある設定や仕様といったものだけでなく、具体的なブツが書籍流として散乱してしまった状態からたどりつくべき「自分」の中の原風景的なかつての秩序のさま、でもあり得るものなのだろうか。

 未だに当時の報道写真と共に論われる宮崎勤のあの部屋の光景にしても、あれだけのVHSテープ(だけではないが)貯め込んどったのは彼自身もあれらを繰り返し「見直す」ことなど想定しとらんかったはずで。ブツとして貯め込んで「並べる」「ストックする」ことそれ自体に何か意味があったという感覚は当時はある程度共有されとったと思う。実際、当時の感覚としては、あの部屋の光景はまるで具体的なブツとしての本を貯め込むことのパロディみたいに感じさせられたところがあった。このへんのこともまた、すでにうまく伝わらなくなっているのかも知れないのだが。

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*1:いわゆるおたく第一世代を基準にした意味になるとはおも。このへん逆にある時期からこっち、おそらくざっくり今世紀に入ったゼロ年代あたりからだという印象があるのだが、「おたく」というもの言いとその内実がほんとに一気に、ある閾値を超えて通俗化し拡散されてしまったことで「おたく」の内実がすでにもの言いとしての実用性すら成り立たないほどにまで希釈されてしまい、こと「おたく」というもの言いを介して何かを説明しての意思疎通自体が難しくなっている現状があるように感じている。このへんもまた例の「ロードサイド」「郊外」化などとも関連してくるお題にはなるのだろうけれども。

*2:当時の報道写真でもいくつかバリエーションがあることは指摘されていたけれども