「正論」にあるべき器量

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 正論である。あるが、しかし、いかな正論もその運用に際しては生身の事情、それらを実践に際して活かしてゆけるか、ゆけるだけの器量が現場に宿っているか、という問題が必ず関わってくる。

 その功績の部分で前川某の話を聞こうと思った、主催者の学校が本当に心底そう考えたのなら、何があっても前川某を守る論理を構築しておくべきだろう。それがあったかどうか。

 なかったよな、絶対。なんであんな援交ヤメ官僚のクズなんか呼ぶんだ(#゚Д゚) ゴルァ! という巷の声が少なからずあり得る、そんな事態が十分本気で想定されていたとは思えんわな。

 

*1:何についての雑感か、は措いておく。少なくともあのモンカ様前川助平の一件にまつわること、その後の世渡り身すぎ世過ぎについてのことだった、というだけでひとまず充分だろう。