中韓「反日」の〈リアル〉・メモ

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 中韓の「反日」って確かにひでえなと思うが、ただ、子どものそういう「反日」発言って「大きくなったらウルトラマンになって怪獣やっつける」「地球を救う」なんかと基本同じようなもんなんじゃないか、と思うフシもないではない。大人になってもまだ素でそれ、というのはそりゃまた別の問題だけれども。

 中国の「抗日」ドラマなんかもTLにたまに流れてきたりするけど、彼の地の世間一般その他おおぜいな人がた的にはあれやっぱ素朴に「おもしろい」んだろうな、と。「おもしろい」介しての〈リアル〉は、「正しい」事実をぶつけるだけで解消されるものでもなかったりするらしくて、な。

 「正しい」事実をぶつけるだけで「おもしろい」介した〈リアル〉が解消されたとしたら、それは概ね何らかの強制その他「弾圧」になっとったりするんでないかと思う。いわゆる「歴史戦」とか言われている領分でも、「正しい」事実を主張して、証拠探してあれこれやってぶつけるだけで、その向こうの「反日」が意気消沈、沈黙すると本気でマジメに考えている人がたが案外多かったりするような気もするけれども、「おもしろい」介しての〈リアル〉、ってのは「正しい」事実で対消滅するようなものではないだろうな、と。

 「おもしろい」でも「痛快」でも、あるいは「不愉快」でも「納得いかない」でもいいけど、そういうココロの領分、ことばやリクツで意味づけて制御しきれない部分がどこまでいっても残ってしまう範疇というのは、あらゆる場合でニンゲン存在の本質に関わるところでもあるはずで、一方的に沈黙できたりさせられたりするのは不可能だと思う。だからこそ、「制御」することの知恵がそれぞれの立場、お互いの関係の中で必要なんだ、というあたりまえが最低限共有されるようにしておかないことには、いくらでもココロの領分任せに現実を裁断したり、動かせることができるとあらぬ勘違いをしたまま、どんどん事態を悪化させてゆくことにもなるんだろう。*2

*1:「歴史戦」と称して日夜頑張っとらす界隈などについても通じる、ある微妙な、でもおそらく本質的な違和感、とか。

*2:このへん、例の「おキモチ原理主義」の問題や、倭フェミその他の「大文字のもの言いへの短絡病」などにも関わってくるお題ではある。