中国の子供インタビュー
— 孫向文 (@sun_koubun) 2019年1月19日
「将来は科学者になる」「戦車を研究して日本人を殺す」「日本人が大嫌い」「昔は日本軍が商店の腕時計を盗んで店員を殴って逃げた」「古代の時に日本人が中国人をイジメた」「日本を恨んで恨んで鼻血が出た」「リアルの日本人を見たこと無い」「将来は日本人を殴る」 https://t.co/8BckdijJjA
中韓の「反日」って確かにひでえなと思うが、ただ、子どものそういう「反日」発言って「大きくなったらウルトラマンになって怪獣やっつける」「地球を救う」なんかと基本同じようなもんなんじゃないか、と思うフシもないではない。大人になってもまだ素でそれ、というのはそりゃまた別の問題だけれども。
中国の「抗日」ドラマなんかもTLにたまに流れてきたりするけど、彼の地の世間一般その他おおぜいな人がた的にはあれやっぱ素朴に「おもしろい」んだろうな、と。「おもしろい」介しての〈リアル〉は、「正しい」事実をぶつけるだけで解消されるものでもなかったりするらしくて、な。
「正しい」事実をぶつけるだけで「おもしろい」介した〈リアル〉が解消されたとしたら、それは概ね何らかの強制その他「弾圧」になっとったりするんでないかと思う。いわゆる「歴史戦」とか言われている領分でも、「正しい」事実を主張して、証拠探してあれこれやってぶつけるだけで、その向こうの「反日」が意気消沈、沈黙すると本気でマジメに考えている人がたが案外多かったりするような気もするけれども、「おもしろい」介しての〈リアル〉、ってのは「正しい」事実で対消滅するようなものではないだろうな、と。
「おもしろい」でも「痛快」でも、あるいは「不愉快」でも「納得いかない」でもいいけど、そういうココロの領分、ことばやリクツで意味づけて制御しきれない部分がどこまでいっても残ってしまう範疇というのは、あらゆる場合でニンゲン存在の本質に関わるところでもあるはずで、一方的に沈黙できたりさせられたりするのは不可能だと思う。だからこそ、「制御」することの知恵がそれぞれの立場、お互いの関係の中で必要なんだ、というあたりまえが最低限共有されるようにしておかないことには、いくらでもココロの領分任せに現実を裁断したり、動かせることができるとあらぬ勘違いをしたまま、どんどん事態を悪化させてゆくことにもなるんだろう。*2