ナルシシズムの現在・メモ

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 現代ではパブリックな場の関係はひとつの自己顕示であり甚だしくシリアスなものになっている。会話は告白のような性質を備え階級意識は薄れている。その結果人々は自分の社会的地位こそが自分の能力の反映だと考えるようになった。そして天賦の能力が不公平だというので自分自身を責める。

 ナルシシストは企業、政治機構、官僚政治体制において高い地位につくようになってきている。内面で苦悩を抱えながらも彼らは官僚制で成功するのに役立つ特徴をいろいろと備えている。

 官僚制は人間関係を巧みに操る才能を奨励し、個人的に深く相手と関わることを妨げる。また同時に、彼らナルシシストがその自尊心を保つためにぜひとも必要な周囲からの称賛や喝采を与えてくれる

 今日の成功は「単に出世すること」でなく「他人より出世すること」である。「自分の好きなようにどんな道でも選択できるという幻想を持ち続け」たがる彼らは「個人的に親交を結んだり社会に献身する」能力はほとんどない。自分の働く会社にすら大した忠誠心など抱いていないのだ。

 罠にかけられるのを怖れる気持とキャリアの流動性やその分身である「個人的成長」を脅かす社会的価値の間には関係がある。「束縛されるな」「選択の自由を保て」「クールにいこう」――自由なしでは自分の成長がないのに社会は自由を奪おうとあらゆるブービートラップを仕掛けてくるという気持。

 罠にかけられ停滞することへの恐怖は、次に、歳を取ることや死への恐怖と結びついてゆく。移動性と成長こそが、生きながらの死である老齢に落ち着いてしまったわけではないぞ、ということを保証してくれるのである。

 彼らは新しいアイディアはすぐに取り入れるが信念には欠けている。会社人間より独立心旺盛で臨機応変だ。会社を自分の目的のために使おうとし、そうしなければ自分は「企業に骨抜きにされてしまう」と怖れている。彼にとって親交などひとつの罠に過ぎない。

 「勝ち組のまわりの「刺激的でセクシーな雰囲気」を好み「ホットなミニスカート姿の秘書たちがいつも彼を取り巻いている。」個人的関係といえば、他人に賛美、あるいは恐怖の念をかき立てておいて、それを頼りに「勝ち組」という証明書を確かに自分のものにしようということくらいしか頭にない。

ナルシシズムの時代 (1981年)

ナルシシズムの時代 (1981年)

*1:繰り返し再訪再読の読書メモとして。いまどき偏差値優等生の「優秀」「意識高い」人がたの形成する世間についての、ある意味先験的な記述として改めて。