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人間の見てくれ外見に対する執着というかこだわり具合、殊にその人その個人という認識に占める割合の多寡ってのは、それこそ文化によって濃淡や質の違いがありそうで。本邦「民俗」レベルも含めたそれらのありようと、それこそ火葬導入以来のそれら意識の変容などについて。
エンバーミングして身体の見てくれ整えてしかもそれをできるだけ長持ちさせたい、という願いというのは、本邦ポンニチ的にゃおそらくうまくなじめないところなんだろう、と。霊と肉のその「肉」のありようについての認識や感覚、手ざわりその他などまで含めた彼我の違いの根の深さ。そういう意味では、2次元的な表現表象に割とすんなりなじんでゆけて、意識や感覚までもそっちに預けることに対する敷居の低さみたいなものが、おそらく「民俗」レベル含めての歴史/文化複合としてありそうで。裏返せばそれは、「この世」の現実に対する執着やこだわりの相対的薄さ淡泊さ、そういう意味での「自然」としてのありようにも。
これらはたとえば葬法の変遷、それこそ土葬から火葬へというかなりドラスティックであるはずの変化についても、それを割とすんなり受け入れていったらしいことの背景に、こういう見てくれ外見とそれに宿る内実 (≒霊魂だの何だの) の関係についての理解の仕方/され方は、程度の差はあれど必ず関わってきていたはずで。それは外見と内面、外から見た人となりとそこに宿る(とされる)ココロのありよう、などの関係をどう認識しているのか、などにもつながるお題だろう。
化粧や美容、ファッションなどは当然、見る/見られる関係の中で、自分をどう装ってゆくのか、という意識の持ちようと密接に関わってくる。かつて30年ほど前にアメリカから仕入れてきたあれこれの本の中にこんなのがあって、そういう問題意識、お題設定の仕方は当時まだ、本邦日本語環境では新鮮だったこともあり、いろいろ考えようとしてみた時期もあった。とは言え、リクツ能書きのレベルでなく、個別具体の素材を使って本邦「歴史」文脈で、というのは習い性みたいなもんだから、鴨居羊子だの山野愛子だの何だの、そういう化粧や美容、美粧系の古書雑書を気がついたら拾うようにはしていたけれども、その後今世紀にかかるあたりからそういうお題での研究や批評の類は割と申し合わせたように出てくるようになったのは、それはそれで何か同時代的な問題意識のシンクロニシティ(ようわからんけど)的なものを感じたりしていた。
Mirror, Mirror: The Importance of Looks in Everyday Life
- 作者: Elaine Hatfield,Susan Sprecher
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- 発売日: 1986/05/01
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*1:美容整形などについての未だ根強いらしい忌避感、刺青やタトゥーについてのそれなども含めて、見てくれ外見についての本邦の文化/民俗的なレベル含めたココロの習い性関連。