「戦後」の身体、身体性も含めて

 戦争末期から敗戦後占領期くらいにかけての本邦農山漁村の世相、特にその人心世相風俗の荒み具合というのは、もう一度穏当に振り返ってみる必要がある。

 例の「やくざ踊り」の流行などもそうだし、荒廃した都市部住民の「財」がタケノコ&担ぎ屋経済介して否応なく流れ込んできたことによるゼニカネ感覚の狂いは、バクチ全盛の気風につながり、公営競技も含めたギャンブルブームの基本的精神風土にも、また。

 それこそあの今東光の河内ものなどもそういう同時代的な空気前提のところあったはずだし、杉浦明平きだみのるなどの記述にも同様のことが言えとったんだとおも。でも、にも関わらずそれを一律「風土」なり「文化」なりの大文字上等な解釈枠組み当てていったワヤも含めて。

 あと、復員してきた兵隊あがりの人がたの影響力というのも、また。マチだとそれこそ闇市の「特攻隊崩れ」的定型(半ば伝説的な)みたいになっとるけれども、同時にそれは農村漁村の側にもさらに深刻にあり得ていたはずで。戦後混乱期の担ぎ屋/闇市経済を支えた人的資源としての復員あがり、の位置づけ。軍隊的な規律の中で培われてきた「組織/集団」で「動く」ことについて訓練された身体の〈リアル〉が良くも悪くも動かしていった「戦後」の活動力。のちの三池の闘争などがある意味その極相だったかもしれんことなども含め。

 あの「肉体の門」にしても、出てくる姐さんたちの組織は「軍隊」を模した規律だったわけで。ココロを封殺してカラダの論理「だけ」で統括されたあの集団は、まごうかたなく崩壊した旧軍内務班の鏡像だったわけで。

 そのカラダの領分が「生存のため」の商売という「正義」で制御しきれない部分も含めて分裂してゆくことで、あのリンチの場面へとつながってゆくわけで。そういう意味では戦後世相についての「性/身体の解放」という一般的かつ定型的説明にもまた、もう少し留保した説明/解釈が必要になってくる。