うっかり「歴史」に至る経路と「童心」・メモ

 ほんとに、「歴史」まわりでここのところずっと起こってきとることと基本的に同じ、なのだ、これは。

 マンガやアニメ、ゲームの体験経由で「歴史」に興味関心持つようになって、大学で歴史勉強したいになっても、そもそもその大学や高等教育の場でそういう経緯でうっかり宿ってしまった「歴史」について、実際どういう手ざわり手応えで生身に宿っとるのか、などさえ未だにうまくフィードバックして対応できていないのだから、本邦日本語環境でのいまどき人文系の世間ってやつでは。

 そりゃあ昔の歴史学者なり歴史家なりで、通俗時代小説やちゃんばら映画に熱狂してそこから歴史に興味を、てな経緯もなくはなかったとは思うけれども、でもそんな通俗の世間とは別に「学問」「研究」の「正しい」世間が嘘でも成立しとったから、たとえ入口は時代小説やちゃんばら映画でも、興味関心が「歴史」という間尺に収められてそういう「正しい」世間に行った時点でもうご当人の中では別のものとして切り分けられとったんかなあ、とかいろいろと。てか、そういう入口をできるだけ早く「なかったことにする」、ないしは「若気の至りないい思い出」というハコをこさえてそっちにどんどんしまってしまう、そういうのが「正しい」世間になじんでゆく身振りであり話法であったということなんだろうな、と。

 大衆社会の中にあらかじめ包摂されてそこで自己形成されてきた、といった自覚を良くも悪くも持って、それが自分が自分になった「原点」でもある、という意識から、「正しい」世間に身を置くようになっていってもなお、興味関心をそちら「にも」拡大してゆけるようになった最初の頃って、どのへんからになるんだろう。たとえば、そうだなあ、桑原武夫とかあたりになるのかなあ……このへんは例によっていろいろ要検討お題ではあるけれども。

 唐突だけれども、そういう意味ではあの明治期に胚胎したと言われている「童心」主義と呼ばれる流れだって、「若気の至りないい思い出」というハコに、自分がまだ小さかった時代の、未だこの世にちゃんと生まれてきてなかった子どもの頃のモヤモヤやうずきみたいなものまでも全部「しまってしまう」ことに何か釈然としない、納得いかないものをどうしても抱えてしまったあたりの意識が「そんなの納得いかない!」を公然とことばにしようとし始めた、そういう経緯の痕跡だったりするのかも。

 そして一方で、そういう「童心」主義には平然とこのような「そんなの納得いかない!」もひそんでいたりもしたわけで。

 アンデルセンは、幼い頃は気が弱く、女の子とばかり遊び、ままごとか花摘みとか女の子のような遊びばかりしていたが、思春期の頃から逆に女嫌いになり、同性に異状な興味を覚えるようになり「愛念」を抱くようになる。一生独身で、同性にばかり思いを寄せ、ひどいのになると親子二代に亘ってアンデルセンに追いかけまわされ、やむなくデンマークからドイツへ逃げ出した家族もあったというのだ。それは七十年の生涯続いたというのである。(…) 巌谷小波はこのことに大きな衝撃と、あらたな興味を覚えたらしく、帰国してからあちこちで「アンダーセンの半面」という題で講演し、その講演筆記を明治三十六年三月号の『明星』に寄せている。*1

 レキジョなどとくくられて昨今いまどき「歴史」好きの女性たちが前景化させられてきているけれども、どうしてそういう女性ばかりが「歴史」に興味関心を抱くようになっているのか、についてのそれこそ歴史民俗的レベルも含めた背景や来歴などについては、さて、例によって未だにうまくことばにされる糸口は見つかっていないように思われる。*2

*1:うっかりとえらいことを何でもないように記されていたりするのは〈いま・ここ〉から「歴史」をのぞきこもうとする際には常のこと。小波の息子、巌谷大四の「証言」。関連してこのへんも。jyunku.hatenablog.com

*2:このへんまたうっかり首を突っ込むとえらいことになるのはわかりきっているのだが、備忘録的に。