電子マネー、の信用ならなさ

 電子マネーで給料もろて、それが使える範囲で使うて、でもそれが一般市場より割高設定で、結果もらうも払うも全部同じところに吸い上げられて、ってそれ、タコ部屋女郎屋炭鉱兵舎工場その他でずっとやられてきとったシノギの手口。「市場」の電子化(≒「情報」化)が、社会と家庭(≒日常)生活、マクロとミクロ、公と私その他、歴史/文化的経緯や背景と共にいずれさまざまにあり得てきたはずのそれら「境界」介しての棲み分けやそういう社会的生態系自体、一気にミもフタもなくフラットに「開かれた」wものにしてきた結果の現在。

 仮想通貨というのもあれ、そもそもの仕組みからしてようわからんまんまなのだが、岡目八目で見聞きしてみとる限りでは、「仮想」の数字上でなんぼ儲けたところで(億り人、なんてもの言いも出回ってたようだが)「現実」化してゆくところにしっかり関所が設けられている様子。どうもそれを実際のカネに、つまり今われわれが依拠している現実の通貨による経済の水準に適用させてゆく過程にあれこれネックがあるものらしい。「現金」化しなくても買物できれば、と言っても仮想通貨で買物できる店なり場所なりがまだほとんどないに等しいという現状。何よりそもそもその値の上下の振れ幅、市場の不安定さがとんでもないものらしいということくらいはシロウトでもわかるから、これまでの株式相場や先物などいわゆる「金融/証券」系のバクチ性の理解の上にさらにしんにゅうのかかったうさんくささ、信用ならなさを世間一般その他おおぜいが抱いているのもまあ、ある意味当然という気はする。

 電子マネーというのはある程度広まってはきた。とは言え、多くはスマホ介しての各種電子マネー決済の利用か、あるいはSuica以下、各種公共交通系ICカード乗車券(こういう呼び方が正式らしい)介して利便性を享受しているというのが現状かと。まして、それら電子マネーと話題の仮想通貨との違いなどおそらくあまり認識されていないだろう。もちろん、こちとらとてあやしいままだし、またあやしいままでも日々の暮らしにゃまず支障などない。「そんなの関係ねえ」のまま、なのだ。

 貨幣自体がそもそもヴァーチャル(≒仮想現実)である、ということは経済学の人がたでも口にする。なるほどそうだ。けれども、そのヴァーチャルが「現実」を覆ってゆくことで〈リアル〉が変貌していった歴史というのもすでにある。貨幣経済が浸透していった過程での違和感や反発、葛藤などについては、それこそ世界中で観察できたことだろうし、こと本邦のこれまでに限ってみても、いわゆるムラ社会的な成り立ちで存在してきたコミュニティにそれら貨幣が新たな飛び道具として日々の暮らしの中に入り込んでいった過程というのは、ちょっとその気になってみればこれまでの「歴史」関連の仕事の中にいくらでも認めることができる。「商人」に対する本質的な違和感、信用ならなさ、というのもそのようなヴァーチャルな〈リアル〉を平然と手もとで操る身振りやもの言いなどを介して根深く醸成されてきたものなのだろう。そして、そういう「信用ならなさ」というのは、昨今の電子マネーや仮想通貨といった「新しいヴァーチャル」の貨幣(と、とりあえず便宜的に呼んでおく)を操る人がたの身振りやもの言いなどにも、間違いなく宿っている。