「頼りになる」オンナ・メモ

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 経済的にであれ何であれ「頼りになる」ってのは今でもオンナの人がた側からオトコを評価する要素として上位なんだと思うが、逆にオトコの側からオンナの人がたを評価するのに「頼りになる」ってのはあまりおおっぴらにしたらあかんようになっとるみたいなのはこれ、いろいろと思うところはある。

 「頼りになる」を「信頼できる」に言い換えてもとりあえずいいとは思うんだが、少なくとも恋愛や結婚を視野に入れた場合の伴侶 (パートナー、てか?) としてどうよ、てな局面でその「頼りになる」ってのをオトコの側から積極的に評価基準に入れるのは、その表現の定型が乏しいままということも含めて未だキツいだろ、と。まして近年のように、オトコの側から見るオンナの評価ポイントが性的存在としての部分と直結したところでしかなくなってきている状況だとなおのこと。

 いや、でもこれってこれまでだってあったはずだし、実際あったんよ、そういうオトコの側からオンナの人がたへの「頼りになる」という信頼感の水準。それこそかの「九州男児」定型なんてのもあれ「九州オンナ」と入れ子のセットで初めて成り立つありようだったりしたわけで、そこにゃ「頼りになる」も介在しとったわけで。だから、見合いでも仲人でも、そういう「頼りになる」をある程度客観的かつ経験的に計測してくれる仕掛け、という意味はあったんだとおも。いわゆる恋愛、好きだけでつがいになって世帯を持つことのリスクを軽減してゆくための知恵という側面、こういう意味でもう少し振り返ってみてもええとおも。

*1:例の “tough” という評価の基準、価値のものさしなどにも連なってくることは言うまでもない。男女の違い、年齢世代の違い、はたまた背景の文化の違いなどさまざまな「差異」を越えて、「信頼できる」「頼りになる」個体というのはどういう存在なのか。もちろん「リーダーシップ」などのありようにも関わってくる。