面倒をみる/みられる関係、のこと

 かつての若者も就職は安定志向だった、ってのは基本そうで、でなきゃなんで猫も杓子も一部上場大企業目指して身の程省みずに受験戦争に横並び突撃、なんてことになったんか、と。ただ、その安定ルートが明確に示されていたからこそリスク取ったチャレンジも可能だったという面はあったわけで。実際、若者が (若者のくせに) リスク取らない、といった嘆かれ方は高度成長期からあったんよ。安定志向のマイホーム志向で夢がない、とか何とかそれこそ評論家文化人の類からなんぼでも、計算高い、打算的、なんてのも併せ技で。「三無主義」とか「シラケ世代」とか言われ放題してきた。それのなれの果てが今や50代、それこそアラカン年代にさしかかっとるんやで。

 とは言え、当時そうやって嘆いていたオトナの側の中核は戦前生まれ、会社の幹部級だと若くても大正生まれデフォだったわけで、同じ嘆き方しとっても、リスク取ってジタバタしとる若い衆に対して「面倒見る」感覚だけはまだしっかりあったんだわな。これまた良くも悪くも。それは「若い衆」に対する感覚がしっかり別ものになっている自分たち≒世間の中核、という意識を宿せていたということでもあったわけで、な。類としてしか存在してない「若い衆」をそれなりに「一人前≒世間のひとり」に仕立ててゆく役回りの自覚と言い換えてもいい。「身を固めさせる」≒嫁を世話する、なんてのもそういう自覚が世間の側にフツーにあったからこそ成り立っていたんだわな。「面倒みる」側のあたりまえと「面倒みられる」側のありようとが良くも悪くも互いに照らし合わされていた状況、というかな。

 もちろん、そこで想定されてる「若い衆」ってのは基本オトコでしかなく、というのも「世間」の「一人前」ってのは社会的存在としてのひとり≒オトナのオトコ、でしかなかったわけでな。そのへんまず決定的に「違う」ということを、もっと「歴史」として織り込めるようにならんといろいろ間違うとおも。オンナを「面倒見る」のはほれ、ただちに「そういう意味」にしか基本ならんかった、ってのも含めて、な。