2ちゃんねるとメルカリ、その間にある(らしい)もの

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 2ちゃんねるが出来た当初、それぞれの板がずらっと並んだその並びがとにかくそれまでの図書館だの辞書辞典だのとまるで違うその世界観自体があまりに衝撃でクラクラした記憶があるけれども、ふわっちだのココナラだのの表紙についてるインデックスの衝撃も当時の衝撃のいまどきアプデ版のような印象。「文脈」がまるで違う、あるいはそんなものすでに必要ないor役に立たない、ということを何よりもミもフタもなく思い知らせてくれる機会というのは、確かにweb環境ならではのものだったとはおも。

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 ある時期からは「5ちゃんねる」になって、今やトップもこんな感じでいろいろと昔日の感が。
www2.5ch.net

 いや、まあ、厨房の部室やたまり場うっかりのぞいちまったというか、そこらの石ひっくりかえしたら見たことない虫がたくさんたまってたというか、そんな感じなんだと思うようにしていたのだが、しかし、その後すでに四半世紀近く生きてきて、それにしても当初確かに感じたあのクラクラ感、それまであたりまえだった現実がこのように違って見えている、こっちこそがフツーに違和感なくなじめてしまっている人がたが同じ時代に同じこの国この日本語を共通の母語としている(はず)中にいる、ということに否応なく気づかされてしまったという衝撃は、その後も実は淡々と日々の〈リアル〉の中に組み込まれて現在化し続けているということらしいことを思い知らされること最近殊にしきりだったり。


メルカリ、その「カテゴリー」のページ
https://www.mercari.com/jp/category/:title/www.mercari.com
jmty.jp
whowatch.tv
coconala.com
 思い返せばヤフオクもそうだったが、メルカリなど最近のサービスになるとさらにわかりやすく可視化されるのは、現実はしょせんカタログである、というものの見方と世界観。それは図書館的な分類のものさしと見てくれ的には一見似ているようで、しかし本質的に別のものと感じるのは、前提が徹底的に「売りもの」であり、その背後に当然それらの分類や序列化を支配している「市場」が存在しているということらしいのだ、どうやら。

 そういう意味では、あの当初の2ちゃんねるにしたところで、表紙にぽつぽつと並べられていた「カテゴリー」の選択のされ方や並べ方も、何かあらかじめ前提となる大きな基準、それこそ「普遍」「一般」などにも通じそうなものさしがあった上での適切な選択の上に可視化されていたものではなかったことを何となく察知していたがゆえの「衝撃」だったように思う。あらかじめ「全体」なり「まるごと」なりを統括する意志とその上での分類基準ではなく、すでに現実にあるものを便宜的に――あの場合だと利用者にとってわかりやすく使いやすくなるように、という実利の上に設定された指標でしかない、ということのあっけらかん。ひとつひとつのカテゴリー同士が何か意味のある並べられ方をしているわけでもなく、全てフラットに「等価」に配列されているミもフタもなさ。それは「市場」の現実市場主義、とりあえず存在している現実を前提にして便宜的に「実利」に向けて整理されているということの味気なさでもあったような。

 「文脈」を読み取ることは、そこではほとんど意味はない。自分のとりあえず求めている「情報」≒「商品」をフラットに効率的に求める、それだけのためにそれらを一覧し、必要なものに行き着くことができればそれでいい。webを介した「検索」サービスの合理性というのはそういうことだし、漠然とページをめくって直接は関係のないことがらに出喰わしてはあらぬ方向に思考や思索を、いや、そこまで大層なものでなくても単なる欲望や興味関心を本来の目的からそらしてゆく、そういう「寄り道」「道草」あるいは「おりる」過程をあらかじめ許容しないようなプロトコルにとりまとめられるようになっている眼前の仕組みではある。

 そう、「ミもフタもない」という言い方がとりあえずしっくりくるような、「市場」の要求とそれに見合った「実利」にだけ一直線に整えられている世界観や価値観を、どこか直感的に察知していて、それが「衝撃的」で落ち着かない感じを与えていたらしいのだ。

 ……というようなことをあれこれ思い巡らせていたら、こんな事案もTLに……

 スマホを持ってる中学生の娘がマルチにひっかかりました。友達から誕生日プレゼントに足が細くなるサプリが欲しいと言われ、提示されたのがLINEショッピングの「スラキュア」という商品。とある会社が初回¥10でお試しできるというので、二人で申込んだそうです。


 コンビニ支払いの払込票での支払いということで、カードを持ってない中学生でも購入可能。商品が届いてびっくりする私。しかも一緒に購入した友達の親からも連絡があり、「調べてみたらマルチだったから気を付けた方がいい」と言われて商品を開封してみました。


 すると払込票に「定期購入」の文字が…よく読むと3ヶ月の定期購入コースで初回は¥10、半月に一度発送されて2回目以降は¥7,800、合計で¥39,010もの請求が来ることになる…しかも3ヶ月間は解約できないと。規約には書いてあったんだろうけど中学生が読むわけない。


 ここで大人なら通常 「¥10で購入できるわけがない、何か裏があるはず」と思ってちゃんと確認するだろうし、それでもこの金額を払ってサプリを手に入れたいと思うかもしれない。それだけの判断力がない人間がLINEという身近なツールで騙されることに危機感を感じた。


 調べてみると、まず定期解約できないといった事例がたくさん出てきた。クーリングオフを調べたけど、ネットショッピングは自発的な購入になるので適用できないとありました。(なのでマイナーなネットショッピング利用時は注意‼)未成年の契約という点で調べてみると……「未成年者契約の取り消し」というのが適用できるようでした。保護者の判断なしに契約してしまい、支払いが小遣いの範疇を明らかに超える場合、契約する前の状態に戻すことができるというものでした。これを使うことでとりあえず事なきを得ました。


 私が言いたいのは、今小学生でもスマホを使える時代、LINEが使えることは親にとっても便利ですがこういったことに巻き込まれる危険性もあるということを心得、しっかり教育をしなければいけないということです。自分が分かっているから疎かになりがちですが……今回いい勉強になりました。スマホを持ってる学生の方にも、その保護者の方にも気をつけて頂ければと思い投稿しました。(そんなんできてて当たり前じゃんと思った方、まったくそのとおりです)以上、中学生がマルチに引っかかった話でした。


 まあ今回の件で私が学んだことは、「これはマルチではない」ということと「ツイッターめっちゃ人いる」ってことでした。おわり。

 このへんは、昨今カタカナもの言いで「ゾーニング」とか言う、あのもの言いなどともおそらく関わってくるのだろう。

 要は「仕切り/棲み分け」なわけで。で、それは法律とか制度とかでも具体的な壁や障壁というだけでもなく、それぞれ個人のココロの仕切りが実はに大きく機能してたらしい、ってあたりの考慮が昨今なくなっとるような。そしてそれは先に触れたような意味での「市場」と「実利」による現実の直線的で一元的な整序と制御のからくりが自明のものになってきている過程とも、決して無関係ではないように思う。

 子どもには子どもの、おとなにゃまた別の世間があるんだろうな、という感覚。男と女も同じ、人間と犬や猫その他に対しても基本地続きで。その向こう側をむやみと知ろうとしないし覗いたりしない、関わろうともしないという約束ごとが善し悪し別にとりあえずそれぞれのココロの裡にあった、と。

 それを倫理とか通俗道徳とかそういうことばで表現するのもありかも知れんけど、名づけ方はともかく「そういうもの」として共有されとったその種の見えない仕切りorゾーニングってのが何となくあって、その上でタテマエとしての現実の仕切りや棲み分けも機能した/できたというあたりの機微が、な……

*1:うまく言葉にできないけれども、こうやってとりとめなく書き連ねてみることで自分の考えが少しは自分で見えてくるような気がすることもあるわけで、そういう意味でも「書いてみる」ことは大事だと思うわけで。おそらく何か大事なお題にどこかでひっかかってゆくような、そんな予感があるからこそ。