要審議(´・ω・`) 「「新しい物語を作ろう」はKADOKAWAが掲げるコーポレートメッセージだ。物語は著作権の根幹でありメディアミックス企業を標榜するKADOKAWAにとってあらゆるビジネスの源泉になっている。ところがいわゆる出版不況が続く中、「新しい物語」が生まれる場はネットへとその重心を移した」
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2019年2月15日
まあ、あのカドカワだからいまさらびっくりもせんけれども……ただ、「物語」って言葉を自分、頑なに使わんようにしてきとる理由その他、もっときっちり詰めて説明しとかにゃあかんみたいだわなあ。
「物語」は「コンテンツ」に非ず(`・ω・´)
「物語」はブツでも媒体でもない(`・ω・´)
「物語」に「作者」は本質的に不要だったりする(`・ω・´)
「物語」はうっかり宿ってしまうものだったりする(`・ω・´)
だからそのへん、「物語」と何やら決め打ちもっともらしい確定的な字ヅラを避けて、とりあえずはひらがな表記の「おはなし」くらいに敢えてずっとしてきとるんだが。それは確定的なブツや記録、資料などというよりは、上演とか語りなどを介して、必ず「読み」その他の受容と共にうっかりその「場」に、そしてそれを支える「関係」の裡に宿ってしまう、そういう感じ。
そういう仮説的補助線を引くことの利点は、まず個々の媒体をブツとして、具体的な存在として「だけ」見てしまうことを留保しておけること。媒体相互の融通無碍な往還や「おはなし」としての開かれた共通項などに気づきやすくなり、「読み」や「読者/受け手」の存在とその営みに合焦しやすくなること。*1