「記録」と「歴史」の関係について・メモ

*1

 「歴史」に対する認識のありかた、のあるひとつの例。というか、「記録」と情報環境の関係、それらが「残ってゆく」条件やそのための環境などから含めて、〈いま・ここ〉の時点で想定される「歴史」という枠組み自体に否応なく関わってくる「歴史」性も共に複眼的に、かつ重層的にひっくるめた「まるごと」として考え続けようとするならば、おそらくある必然としてもこのような認識のありかたに概ね至ってゆくものだろう、とは思う。そういう意味での「連続体」であり、自分の語彙の習い性で言うなら、いつものあの「まるごと」でもあるような。

しかしそれを言うなら、絵も文章も残さなかった人はただ忘れ去られるのか。その人達の井戸端会議や酒場の愚痴の記録は残らないのか。極論だけど連続体だと思う。残すべき情報と切り捨てられる情報に明確な一線なんてない、あるのは伝える側の恣意だけだろう。

 これはまたミもフタもない、けれどもおそらくいつの時代、どんな社会や文化、文明の段階においても適用する/されるべき「真実」ではある。あるが、しかしその「伝える側」というのは果たしてどのような意志や思惑、希望や執念なども含めて、そうしようと思うものなのだろう。いずれ放っておけば時間の流れの中、おぼろに消えて霞んでゆくしかないそんな〈いま・ここ〉のあれこれを、わざわざ「記録」しようとして、しかもその「記録」が時間を越えて、自分自身の生の間尺をも飛び越えた時間を生き延びることを期待する、そのココロの動きというのは果たしてどういう条件どういう背景において、初めて「一般的」「普遍的」なものになっていったのだろう、とか。

 忘れ去られること、が一律悲しいことであり、できるならば避けたい現実であるという感覚。いつものあの「成仏」という日本語に込められていた何ものか、との関係なども含めて。否応なく忘れられてしまうこと、自分が確かに生きていたことも、だから必然的に誰かの「記憶」の裡にとどまってもいるらしいことも、でも必ずどこかの時点で「忘れ去られる」ものであるということ。「記憶」が「記録」に変換されていなければなおのこと、たとえどのようなものであれ「記録」になっていたとしても、その「記録」の内実や記録された当時の〈いま・ここ〉の文脈における意味あいなどについては、記録されなかった場合と同じようにいつか「忘れ去られる」ことになる。むしろ、なまじ記録されていた分だけ、その「記録」だけが「忘れ去られる」過程の裡に取り残され、長い時間の間尺でそれ自体の意味を放射能のように拡散し続けてゆくことで、いっさい記録などされなかった人やできごとの類が自然に時間の経過と共に「忘れ去られて」ゆくことに比べれば、「記録」の周囲のその意味の領域がある種のフィルターとして、あるいはバイアスとして作用して、もともと本来のその人やできごとの生きて〈いま・ここ〉に存在していた当時の意味あいを後の世から探りにくくしていることもあるはずで。

 「記録」されているからこそ、時間の経緯の中でまつわり続けてくる不自由というのも、おそらくある。「歴史」の全体性、「まるごと」のそういう歴史の相において〈いま・ここ〉から歴史を考えようとした時に、「記録」がいっさい残っていないモノやコト、人であれできごとであれ何であれ、それらが常にとりとめなくも膨大な領分を占めていることについて、どこまで謙虚になってゆけるものか。しちめんどくさいようだけれども、おそらく「歴史」というもの言いにまつわる思索や思考の類が導き出してくる全体性、「まるごと」への希求のモティベーションというのは、このように「記録」の向こう側、それらが一切関与しなかったであろう水準の領域を意識させられることで、よりくっきりと自分のものになってゆくものらしい。
*2

*1:「記録」という営みとその結果としての資料の問題。文字によって記録されたものであれ、あるいは昨今のこと、画像映像音声がそのものとして高度な技術を駆使したデバイスを介して記録されたものであれ、また逆に素朴にブツとしてうっかり残ってしまったようなモノなどまで含めて、それら広い意味での「記録」されたものの社会的な意味なども視野に入れたところでの「歴史」問題のこと。要継続検討&審議案件でもあることは言うまでもなく。

*2:いつもひとつ話のように引用する柳田國男のあの挿話、渋沢敬三とその仲間たちが文字の読み書きのあまりおぼつかない、その意味で正しく「常民」のひとりであったようなある漁民に自らの生を振り返るような書きものをするよう勧めていることを耳にしたとき「渋沢くんたちは残酷なことをする」とぽつりとつぶやいたというあの挿話にしても、その「おはなし」としての語られ方や受け取られ方の幅や誤読誤解の経路などもひっくるめて、改めて考えなおしてみる必要があるように思う。