ストーリーのいまどき・メモ

*1

以前、とある日常ラブコメマンガの話をとある同業者さんとしてたら、


「あれってストーリーないじゃないですか」
「え? ありますよ。人間関係がだんだん変化していくじゃないですか」
「アスタさんはそれをストーリーって呼べる人なんですね、なるほど」


という会話になったんだけど。
 その時は「変わった人だな」と思ってた。ところが、また別の同業者さんとラブコメの話をしてた時に、


「ラブコメって大抵ストーリーがないじゃないですか」
「あるじゃないですか…人間関係が(ry」
「あー、一般的にそういうのはストーリーって呼ばなくないですか?」


という会話になって、実は世間一般では、出来事が起こらないとストーリーが展開したと感じない人が一定数(もしかすると多数派)いて、人間関係が徐々に変化したり、個人の心情が変化していくような内面のドラマはストーリーとは呼ばない人が普通にいるんだと今更ながら知った。なんか色んな事に合点がいった。


 時々、私のシナリオの感想で「とくに何も起こらないのに何故か面白い」というものをいただくんですが、そういう事だったんですね。私的には「色々起こってるやーん」って思ってましたが、むしろこの感想は私にとって最上級の褒め言葉だったと。まあ何をどう呼ぶかって話ですが。


 ここで例の勉強会での私のお悩み「掴みが弱い」につながるわけだ。ようするに明確なイベントが起こるまでストーリーが始まってないと感じる人が一定数いるのに、私はイベントらしいイベントを起こさないから(起こしてるつもりなんだが)スロースターターと言われてしまうと。 *2

*1:自分の語彙で言うところの「おはなし」、あるいは世間並みに「物語」でもいいんだけれども、そういう類の文脈を「読む」「わかる」能力というのはある種のリテラシーなわけで、それがどうも静かに当たり前に多様化し、かつ分散化してきとるらしいことは若い衆とのつきあいでも感じてきとるここ10年ほど、だったりするんだが、そのへん裏打ちする挿話がここでもまた、という次第。

*2:この後、「ストーリーの定義がどうだとかいう話じゃないですよ。わざわざ捕捉するまでもないかと思いますが。これは個人的な気付きの話です。」と補足されとらした。