東京へ出てきてから、もう33年・メモ

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 広告学校は確か4月の5日ぐらいからはじまるはずだったので明らかにフライングというか、イキって上京しちゃったんですね。若気の至りというやつです。


 前の日はツレと呑んでました。ツレは見送らせてと言いましたが、なんか泣きそうだし、恥ずかしいんでシカトして朝イチの新幹線に乗りました。


 東京に来て最初にしたのは部屋探ししたときにアパマンから紹介された営業?の女の人と一緒に入った定食屋でメシを食うことでした。焼肉定食をご馳走になったので、上京したら自分のカネで食おうと思ってました。


 東十条って駅に着いて、そっから20分ぐらい歩いた先の「第二ときわ荘」っていう四畳半一間風呂トイレあるわけねえだろって部屋がはじまりの場所でした。とりあえず大家さんにサツアイして部屋の鍵をもらいます。


 とにかくやることなくて、部屋の窓から空を見あげて、先に届いてた段ボールの中から灰皿だして、おお、お前もついてきたんか、とか言いながらタバコを吸うわけです。やることないからタバコを吸うわけです。


 前の日まで名古屋の実家に住んでて、バイトした金全部好きに使えて、家のクルマ、マークIIグランデ死ぬほど乗り回して月のガソリン代8万円みたいな生活。昼メシはサテンでミートスパとピラフとホットドッグとか食ってた。それがぜんぶなくなるわけです。自分の意思で。自分が選んだんだから仕方ないし当たり前だし、だけどなんか、あーなくなってんなー、って思ってまたタバコを吸うわけです。


 まあ要するに寂しいわけです。で、よせばいいのに名古屋にいたときバイトしてたレコード屋に電話したりして。当然スマホはおろかケータイもなんなら家電もないからアパート近くの公衆電話です。で、たわいもない話するんですよ。


「俺いま東京なんだけど」「うそーもう行っちゃったのー?さみしー」「ああごめんごめん、また近いうちに帰るからさ」「うん、きっとだよ、待ってるからね、あ、お客さんきたんで切るね」「え、あ、うん…」


 仕方ないので駅前商店街でカラーボックス買うか…となり「あんぱち屋」みたいな店を物色。これでいいか、これくださいと頼むと店主が「ありがとうございます!お兄さん、どこなのご出身。この街で暮らすのかい?」と言われて、死ぬほど赤面した。


 知らないうちに訛りが出ていたのか!ヤバい。タモリのせいでこのあたりじゃ名古屋弁は最悪な印象のはずだ。しかしバレたなら仕方ない「あ、えっと名古屋です」すると店主は「そうかいこれからよろしくね!これ持ってきな」とwinkのカレンダーをくれた。


 第二ときわ荘に帰ったはいいが相変わらずやることがない。仕方ないままタバコを吸う。ふと思いついて、ヤカンで湯を沸かし、段ボールの中にあったネスカフェゴールドブレンドを飲んだら死ぬほど不味かった。ネスカフェが悪いわけではなく水が不味いのだ


 と、いうことはサッポロ一番みそラーメンも出前一丁もたるたやの味噌煮込み寿がきやの特製ラーメンも、名古屋から送られてきたものは全部不味く仕上がるってことになる。ちょっとだけ上京したことを後悔した。


 そうは言っても仕方ないし、相変わらず時間を持て余していたので近所を散策することにした。すでに夕暮れどきだったが、東京都北区神谷の空にはコウモリが群れをなしていた。それまでの18年間でコウモリなど見たことなかったので新鮮だった。


 アパートから駅までがいまのところ俺のナワバリ。そのどこの家からもあったかい匂いとオレンジか白かどちらかの灯りがこぼれていて、どうして俺はひとりぼっちになっちゃったのかなあ、と激しく後悔しはじめたのでありました。これが33年前の今日。

 自分が「上京」したのはこの御仁からさらにもうひと昔近く前の、ああ、もう42年前。とは言え、もともと東京生まれではあったから全くなじみのない知らない土地という角度のつけられ方をされていたわけでもなく、どちらかと言えば生まれ育った場所へ「戻る」的な気分はどこかにあったような気がするから、いわゆる「地方/いなか」から「上京」という定型のセンチメントとは違うものがあったとは思う。

 それでも、たとえばこの上田正樹と有山淳二の名曲を、はるばる東京まで大事に運んで西荻窪の四畳半に持ち込んだレコードで聴きながら「ふるさと」という、当時すでにもうどこかこっぱずかしいものになっていたもの言いに自分なりの内実を重ね合わせることができるかも、的なココロのジタバタはしていたと思う。

上田正樹 & South to South-大阪へでてきてから-
 あるいはまた、当時明らかにバカにしていたさだまさしのこんな曲を、音痴で音楽の趣味などほぼまともに持ち合わせてなかった昭和ひとケタ生まれのオヤジがなぜか自分でシングルレコード買い込んでいたことをおふくろから聞かされて、なんでまた、と思いながら自分でもそれを聴いてみてなんというか、いたたまれなさに身ふたつ折れになるようなキモチになったことも。*2

案山子/さだまさし(まさしんぐWORLDコンサート「カーニバル」)
 このさだまさし的「望郷」「ふるさと」イメージの定型っぷりも、今聴いてもかなり見事なまでに型通りになっていて、そのへんの違和感やなんだかなぁ感は、後に民俗学だの何だのにうっかり興味持つようになる原体験みたいなものの一部くらいは形成しているんだろうな、とはおも。

*1:「上京」の語られ方、近代このかた、いまなお活きているらしいその定型のひとつの例として。

*2:出張のついでだったのか、いきなり何の連絡もなくアパートにやってきて、たまたま当時つきあってたおにゃのこが部屋にいたのでおやじもおそらく面食らって、それでもそこは当時のおとなのオヤジとしての貫禄か、それなりに世間話でもしながら何となく3人で近くの定食屋でどこか気まずくメシ喰うことになったのを思い出した。あれ、おやじはおふくろにどう伝えていたのか伝えていなかったのか、確かめもしないままおやじはその後10年ほどで博多からの出張帰りの羽田空港に着いて「今から帰る、風呂わかしていてくれ」と公衆電話から家のおふくろに電話したその場で斃れて逝って、おふくろはおふくろでいまや見事に痴呆症の要介護4で特養暮らし、きっとおやじは黙ったまま何も伝えなかったんだとは思っている。