フェミの〈リアル〉・メモ

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 目の前のことは男よりよく見えてると思うウサよ。つまり女性の現実性は「家計的」ウサね。自分の損得はよく見えてるウサ。しかし、他人から自分を測られることについては鈍感で、それをされると不快感を覚えるウサね。


 よって自分も男を見た目や稼ぎなどの指標で強く選別しているくせに「女の子を見た目や年齢で判断する男サイテー!」みたいなことを平気で言えるウサよ。目を覚ますウサね。それをキッチリ書いたのが婚活ノートの第1部ウサ。
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 しかし、大卒も微妙なのは、キャリアを積み過ぎて高学歴高収入化してしまうと「女医の未婚化」現象が起こるウサねえ。これは娘を持つ親御さんにはかなり切実ウサね。つまり「ある程度勉強頑張れ!しかし高学歴にはなりすぎるな!そこそこの大学会社入って稼ぎのいい彼氏作れ」が最適解になるウサよ。


 しかし、そんな指導は親側もなかなかできないし、娘側も拒否しがちウサね。「勉強頑張れと言っておきながら私が賢くなりすぎたらやめろってどういうこと!?私はもっと学びたいのに!」ってなるウサよ。当然の反発だと思うウサね。だからこそ根が深いウサ〜


 よってキャリア系フェミニストはフェミに成るべくしてなってるし、そうでなければ自分の頑張りを否定してしまうことになるウサよ。一定以上高学歴になると女医のMIOさんも言ってた通り非モテになるけど、それも頑張りに対して恋愛成果が追従してこない状態なので不満ウサね。


 よって、自分より賢い女を選ばない男はダサい、みたいなことを言い出すウサ〜。しかし男からすると知らんがなウサね


 これが「女の学歴のジレンマ」ウサね。なんと低学歴でも高学歴でもどちらも不幸になるルートがあるウサよ。自由になった結果右往左往してしまい間違いが頻出する例ウサね。概ねの最適解は「ほどほどの学歴で、ほどほどの腰掛け」ウサ。しかし、そんなもの中々見抜けないし、レールがあった方がマシウサ


 女の人も「女の自由のリスク」についてはちゃんと知っておいた方が良いウサねえ。別にアンチフェミに賛同しなくても良いけど、知っておいた方がいいことは知っておいた方が良いウサよ。違うウサ?


「反フェミは自分の娘を中卒にしろよw」と煽ってきたアホが昔居たけどそのアホがアホなのは「全員中卒社会を求める」ことと「自分の娘だけ中卒」にすることの差が分かってないからウサね。後者は自分の娘だけ損させるだけウサね。オイパラさんは自分の娘は関西だと関関同立くらいには入れたいウサよ?


 その代わり自分が独裁者になった暁には必ず女は全員中卒の産む機械にするから安心してほしいウサね。ただし機械と違うのは、産んだら産んだだけ保護と幸福を与えたいし、あまりにヤンチャな夫も投獄するウサね。ちなみに社会学者は全員重罪になるウサ。世を乱す連中だから仕方ないウサね…


 ちなみに高学歴女性でもさらに高学歴夫を捕まえると最強になれるウサね。ただし、確率は紙のように薄いし、大抵見た目がいいウサよ。そして、大体フェミってるウサね。これが最強系フェミニストウサ。"フェミはブス"みたいな反フェミの言説はそれには通じないウサよ。


 そして、そして、そして、美しくて強い旦那を持ち、自らもよく稼ぐフェミはこういうウサね。「女性も自由になる時代よ。自由って素晴らしい」と。そりゃその人からしたら素晴らしいに決まってるウサね。しかし、一部の勝者の裏には無数の負け組がいて、そういう女に憧れて目指して死ぬ女が量産されるウサ〜


 これは叩き上げの起業家や成功者が「若者は起業せよ!俺みたいな金持ちになれるぞ!」と煽るのと同じ構造ウサね。もちろんそれを目指した九割は死ぬウサ。そして、自己責任の名の下に見捨てられるウサ。所謂生存者バイアスウサね〜 よって女性の自由を訴えながら行き遅れるのも自己責任ウサ〜


 踏まえて考えると、自分の娘の器量がイマイチ以下なのに東大京大に行くようだと孫は諦めた方がいいウサよ。これを「上野効果」「上野千鶴子現象」と呼ぶウサ。


 絶世の美女なら大丈夫ウサ。フェミになっても最強種なので男も女も無双するウサよ。これを「エマワトソン現象」と呼ぶウサ。

 

 その一方で、こちらもまた確実に根を張りつつあるいわゆるフェミニズムに対する違和感不信感表明のかたちも、また。

 とは言え、これらは先に示したようなNoteとTwitterを同時遣いしながら自身の思索をまとめてゆくようなスタイルから繰り出されるもの言い群と、少なくとも同じ土俵、等しい水準でことばをかわしてゆく可能性はどうも薄いまま推移しているように見える。それは、スタイルとそれを介して生産されてゆくもの言いの質や、言わば初期設定として組み込まれてしまっているのかも知れないある種の特性みたいなものなども含めて、いろいろ要検討の部分をはらんでいそうな印象。

 

 *1: web環境と常時接続環境を前提とした便利なツールは日々増えていて、かつ姿を消してゆきもしているらしいけれども、たとえばNoteとTwitterを組み合わせて日々の思索やよしなしごとについての備忘としながら、そこを足場にもう少しまとまった分量のアウトプットへ向けてあれこれ展開しようとするような手癖の人がたは、昨今眼につくようになってきた。それがまた、いわゆるシャカイガク系の若い衆世代の〈知〉の嗜好として何かひとつのスタイルみたいになってきているのかも、と思わされることも。とりあえずここはそういうスタイルのひとつの例としても、と同時にここからこちらの土俵にどう引き寄せてゆけるのかというエチュードの試みとしても。