秋元康のこと・メモ

 秋元康の胡散臭さについては、彼がメディアの舞台に登場し始めた頃、故平岡正明が「香港映画に出てくるいけ好かないデブのクズ」(大意&うろ覚え)みたいな言い方を的確にしていたのを覚えている。それも、彼についての紹介本のようなありがちな企画に盛り込まれた原稿の中で。彼としては最大限「忖度」した上での悪意のにじませ方だったのだろう、と思う。
 この本、手もとにあったはずなのだが例によって簡単に発掘できず、ならば、とweb上で検索かけてもうまくヒットしない。86年に出されたものということだけは確認できたけれども、その表紙からして悪意ありありなイラストで、それこそ平岡の言うような「香港映画に出てくるいけ好かないデブのクズ」そのもののような彼のキャラクターが描かれていたのすらアーカイブされていないのには、何か理由があるのかも知れない。

 秋元康は結局過大評価の人ってイメージなんだよね私にとって。若い人は知らないだろうけどいろんな事を企画してはポシャってきてる人で。AKBがブレイクする前はこれも確実にコケると思って見てた。初期メンの必死さとしのぶさんの神がかった衣裳があったからブレイクしたけど、衣裳は皆印象に残ってるけど、あのチェックの衣裳を着ていた言い訳メイビーの歌詞をどれくらいのコアなファン以外の人が言えるか(そもそも言い訳メイビーの衣裳だということすら知らないかも)を考えたら、秋元康の歌詞が素晴らしいからブレイクした訳じゃないのは明白だし


 センセイセンセイと祭り上げられ事態を収拾させることを要求されるけどそもそも多分そんな能力がないんだろうな。ないからいつも逃げるんだよね。AKS との確執も本当にあるのかね。株の件から見ても秋元康はお金は大好きだけど経営や投資投機に疎く、そもそも会社を切り盛りする能力なんか端からないから、総合プロデューサーとしてこれまで通り適当に祭り上げてくれてお金払ってくれるなら、経営してる人なんか誰でもいいんじゃないのかな。あっちこっちにいい顔して、あっちこっちに手を出して、失敗したら知らんぷり、成功したら手柄を宣伝。やってること考えてることこれだけの人でしかないんじゃないのかね。


秋元康は戦わない。
逃げるだけ。

立ち向かわない。
逃げるだけ。

寄り添わない。
いい人ぶるだけ。

なんかそんなイメージ。


 いや、だから責任がないとかじゃないですよ。擁護じゃないよこれ。なんかな。昭和高度経済成長期によくいた、上にいい顔して飲み会開くのがうまいだけで出世したおっさんがなんか神格化されててどうにもバランス悪い。若い人には伝わらないから嫌なことを書くけどね、あの時代の「飲み会開くのがうまい」って言うのはね、「割りきった女の子を集めるのがうまい」っていうね。ああやだやだ。(嫌すぎるのでこれだけあとで消すかも)

 あの時代、時代の流れに波乗りして登場してきたさまざまな若い衆世代の「英雄」たちの中でも、その後も含めて未だに命脈繋いで君臨しているという意味では、それなりのただものではない「梟雄」ではあるのだろう。時代のアイコンとしてもあのおたく太りな水ぶくれなツラに黒ブチのオシャレメガネ(当時としては)という取り合わせは、いわゆる「ギョーカイ」労働を遊弋する「軽薄短小」(このもの言いもすでに古びて当時の内実も忘れられつつある)才子の象徴にまでなっていたことは、たとえば映画『スワロウテイル』で鈴木慶一演じるレコード会社だかの辣腕プロデューサーのたたずまいが、そのまんま秋元康だったことなどからもよくわかる。実際、あれは秋元本人が出演しているとその場でも、そしてその後もしばらく思い込んでいたくらいにそっくりだったし、実は鈴木慶一だとわかった後も、そのアイコンとしての「秋元康的なるもの」の期せずした批評性の根深さに改めて感じ入ったくらいのシロモノだった。

 このtweetは、新潟で活動していたAKB系のコンセプトのグループをめぐる醜聞にまつわつて出てきたもの。経緯も詳細もよく知らないけれども、ここでもその秋元康の商売人としての手癖が陰に陽に取り沙汰されるようになっていたことは、単なる生身の個人としてよりも、ある種のアイコン、そういう世間に根を張ってしまった良からぬものの象徴として、それこそあのアキラのようにぶくぶくと増殖して手のつけられないものになっているらしいことをうかがわせるものだった。
blogos.com
*1
*2

*1:経緯も詳細も個人的にはアウェイのままだし、その後の尾の引き方なども含めてちゃんと追いかけてもいない案件だが、いまどきのそのようなある種の芸能界の商売のまわし方が「公」と癒着しきったところで蠢くものになっているということは、傍目にもわかりやすく見えてきている。

*2:ただ、作詞家としてというか、ある種のクリエイター(イヤなもの言いだが敢えて) としては、何か同時代の気分のあるやわらかな部分、たとえば共同性や連帯感といったもの言いで本来カバーされるべきであるような領域にうっかりつけこんでくるような、妙な手癖を抜き難く持っていやがるなぁ、と嘆息することも、まあ、あったりする。たとえば、近年だとこいつ、とか(´・ω・)つ www.youtube.comぜひとも字幕オンでおすすめする。字幕が後付けでインサートされて観ることがラクにできるようになったこれら映像コンテンツの類は、「音楽」の受け入れられ方の意味あいも変えていってるところがあるようにも思う。これはまた別の要検討お題につながるわけだけれども。……200107