歴史学者と文学者・メモ

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 俺たちが教室で日教組の狂師たちから大嘘歴史を叩き込まれて精神を病んでいた頃、多くの歴史学者たちは素知らぬ顔で文献を精読し学会誌に論文を発表しているだけだった。俺たちは学者から見捨てられていた。


 「日本人に生まれたお前はそれだけで極悪人なのだ」と言われて育った俺たちに、励ましと勇気を与えてくれたのは本職の歴史学者たちではなかったんだから、若者の方を向いてなかった歴史学者が、若者を励ましてきた作家に向かって「恫喝はやめろ」と口走る姿を見て鼻白む気分になるのは仕方ないことだ。


 俺は学校で君が代を習ったことがない。入学式卒業式で君が代を聴いたこともない。音楽の授業では北朝鮮の少年合唱団のテープを何度も聴かされた。担任は天皇陛下を「天ちゃん」と呼んでいた。こんな虐待的環境で育った若者に、誇りを持てと語りかけてくれたのは、作家であって歴史学者ではなかった。

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*1:歴史学歴史学者だけに向けられている刃では全くないこと、言うまでもなく。本邦日本語環境での人文社会系ベースな〈知〉全体に対するきわめて本質的な問い、そして要求。

*2:学界期待の新進気鋭、自他共に認める(らしい)ホープと、ひとまずベストセラーを実績として複数持っている大衆的な書き手との、まわりも巻き込んでの「歴史」をめぐる「論争」(なのかどうか、ようわからんのだけれどもひとまず)についての、Twitter世間どころではなく表舞台のメディアまでうち揃って例によっての百家争鳴侃々諤々な空中戦の陰で、ごくひっそりとこのような基調低音的な想いが確実にはらまれていること。そして、このような一見とらえどころのなさげな、かたちにもうまくまだなっていない想いこそがこれから先、本邦の「民意」を下支えして何らかの方向へ動かしてゆく大切なものになりつつあるらしいこと。