「単純労働」のイメージについて

 トラックの運転手は、会社の指示で集荷先に行って伝票を受け取り、伝票通り荷物が揃っているかチェックしなければいけないし、積載量だって法律で定められているからその事も頭に入れないといけない。他には総ての荷物が同じ形とは限らないので上手く積み込まなくてはいけない。


 あと荷物を積む順番にしても荷降ろし先が複数ある場合は一番最後に回る場所の荷物を一番奥に積むとかその場その場で色々考えなくてはいけない。配送中にしても道路事情によってルートを変える場合もあるから何通りか道順を頭に入れておく必要がある。これの何処が単純作業なのか?


 スーパーのレジ打ちだって、ただバーコードをスキャンすれば良いって話じゃない。品物の配置場所とか頭に入れておかないとレジの最中に偶に客が「これ要らない」と返品したり、品物の値段を聞かれたりするから戻したり、調べる時に対応出来ない。他にもレジ袋の補充や開店準備とか色々仕事がある。スーパーのレジ打ちの店員さんはただレジ打ちだけをやっているのではない。これの何処が単純作業なのか?


 で、最後は俺もピッキングのバイトをやってたから言うんだけど、白い虎の人が言う様な単純作業じゃないよ。商品、部品が永遠に固定されてる訳でもないし、同じ置き場所でもない。企業は毎年のように新商品を出す訳なんだから当然、商品も部品も変わって来る。


 当然、売り上げに応じて商品や部品の置く位置も変わるので常に情報を更新してないと出来ない。あと、どう動けば効率よくピッキング出来るかとか結構頭を使う。最後に重要な事は違う商品や部品を入れてしまったらお客様に迷惑を掛けるからスピードと正確さを求められる。これの何処が単純作業なのか


 で、そう言う事も知りもしないで「単純労働」「奴隷」「AI」とか単語を並べられても俺からすると「何言ってんだ?」としか思えない。そもそも「奴隷」だとかは共産主義者がよく使うワードじゃねえのか?


 実際問題AI化するのは難しいんでないの?って言う職業はあると思う。逆に「これはAI化するべきでしょ?」と言う職業もある。特に危険な作業に関して言えばAI化されたらどんだけ事故を減らす事が出来るかと思うしね。


 この手の仕事がAI化するのは一番最後で、他の高等?な職種の方が先に置き換わっているのは間違いないと思う。理由はマルチタスク&細かい修正/調整を求められるが、現状それへの費用(人件費)が安く費用対効果がないから。AI化の費用対効果があるのは、危険度の高いor分析や要約or高給与な職種。


 スーパーのレジ打ちは早くに替わるだろうが、これはスーパーの膨大な来客対応&雑多な業務からレジ打ちのみを抽出して現状も成立してる特殊なケースで、且つ客にそれを負担させるという理由のため。自動運転も、一般波及効果の方が高いから進められてる話で単純云々で語られる話ではない。


 まあ、難しい仕事ではないとしても、向き不向きのある仕事ではあるよね(´・ω・`) トラックも積載重量によってブレーキの効きなんかも変わって来るからそういう対応力は必要だし、荷受元や搬入先の人も色々だし、対応間違えば荷主の信用にも傷が付くし。

 AI化をめぐる議論の類でありがちな問題。てか、何もAI化がらみでなくとも、要は「仕事」一般に対する想像力の問題なのだと思う。

 「単純労働」というくくり方である種の仕事、身体を使ういわゆる底辺労働的なバイアスでイメージし、そのまま語ってしまうことに抵抗も持たないような種類の仕事というのは、ほとんどの場合そのように語る側とは関係ないところで、でも社会の多くでそのような仕事が存在する(はずorらしい)という「常識」において存在しているようなところがある。世間一般を言い表す際に「魚屋や八百屋」(の、しかも「おっさん」)がじきに持ち出されるのと似たような意味での、「世の中」「世間」の成り立ちを表現しようとする際の定型のもの言いの一部として。

 考えてみたらこの「魚屋や八百屋」系のもの言いも、マチの半径身の丈の見取り図で可視化されやすい商売、自営業としての小売店形態を想定しているわけで、小学生レベルな「社会」イメージのオトナ版的なところがあるけれども、さすがにそれではこっぱずかしいのか、「単純労働」的なもの言いはそれよりはもっともらしい抽象化が施されていて、ざっくり高校生くらいのレベルか。産業構造的な見取り図がさしはさまれた上で一次産業や二次産業の、それこそブルーカラー系の肉体労働がほぼ等号でイメージされているような印象ではある。工場での生産ラインに貼りつく労働的な、あるいは農業でもピッキングなどの労働集約系の仕事のような、どちらにしても「誰でもできる」的な属性と共にくくられてしまっているらしい。

 この「誰でもできる」的な属性と共に語られる仕事というのは、近年だと「コンビニのレジ」などが新たに定型定番として加わっている。このあたりは三次産業にまでそれら「単純作業」的な仕事が勝手に敷衍されてきたということか。ある種の人がたにとっての「自衛隊(員)」なんてのもそれら「単純作業」で「誰でもできる」仕事として認識されているような気がする。あるいは「タクシー運転手」なども。 以下、wikiの定義から。
単純労働 - Wikipedia

 単純労働(たんじゅんろうどう、英語: manual labor)とは、専門的な知識や技能を必要とせず、短期間の訓練で行う事が可能な単純な労働を指す。対義語は複雑労働。工場作業・荷役作業・建設作業などがこれに当たる。


 単純労働の従事者は「ブルーカラー」に含まれ、しばしば同一される。しかしブルーカラーにも熟練工など高度な技能や資
格を必要とし、短期間の訓練では従事できない労働をする者も多く、一般に単純労働とは呼ばれない。


 海外労働者における「単純技能者」は、医師などの特定の「専門技能者」以外の労働者を差す用語であるため、一般的な意味での単純労働者とは異なり専門技能や知識を有する者を含む。そのため海外労働者受け入れの議論上では「いわゆる単純技能者」と呼び一般的な単純労働者と区別する事がある。

 manual の部分を「単純」と置き換えた経緯など興味深いが、勝手な推測任せに言えば、たとえば単に「手作業」的な意味あいだと本邦の「職人」系の熟練などがかぶってくるとかの事情もあったのだろうか。文脈的には明らかに集約労働の現場で従事させられる、それこそ沖仲仕や土方土工の類が当初は想定されていたと思うのだが、身体を使うという意味あいでの manual ならば素朴に「肉体労働」でよかったところを「単純」とやったあたりに、どうもそれと対置されるべき「精神」なり「頭脳」「知性」なりが「複雑」で優れたものという発想が根深くからんでいるような印象ではある。*1 *2




 

*1:日本語の「労働」自体、元はそのようなmanualな意味が自明についていたことは、ホワイトカラー的な事務系作業が「労働」ととらえられず、だから初期の会社員は「労働者」という範疇に入っていなかったらしいことなどとも関係してくる。このあたりはまた別途いろいろ展開の必要があるのだけれども。

*2:こんなtweetも頂戴した。……190823