「●●も知らないのか」「勉強してください」話法・メモ

 「●●を知らない」のは別にええんよ。「知らない(ことがある)かも知れない」という留保を普通に当たり前に持っているならば。そんなの誰だって当たり前で、だからこそやりとりおしゃべり情報交換がされるわけで。

 だから、「●●も知らないのか!」という詰め方批判の仕方の類も基本同じように留保が必要なわけで、でないと、どっちもその「知ってる」こと「だけ」がマウンティング的なアイテムになっちまってるに過ぎないワヤやスカを共に同じように共有しちまっとるということにもなるわけで、な。

 で、こういうのってかつての初期「おたく」の身振りとして言われてた「相手の生身の人格や性格などとは切り離された「情報」とだけ会話する/したがる」の延長線上にあるもののような気が……いわゆる「マウンティング」と昨今くくられる身振りの背景にある心性の来歴として。

 「知らない」ならば「教える」でいいし、「教わる」でいいはずなんだわな、ごく原則的には。そこに「優劣」だの「上下」だの、ある種のものさし、それこそ偏差値的な一律「普遍」(とうっかり思わされる)基準が自明に前提になった判断が最優先されるとそりゃあんた、抑圧にしかならんわなぁ。

 「生身と切り離された「情報」とだけ会話する」にものすごく便利で重宝な道具、ってのがものすごく増えた、ないしはそういうこと「しか」お手軽にできないような情報環境になってきた、ってこともあるとはおも。

 「●●も知らない」ような人がたも当然、同じように「平等」に話に参加する、それが前提として共有されている、というタテマエは大文字としてありながら、でもどこかキモチやココロの部分で優劣上下つけて安定したいというマウンティング性癖も熟成発酵されてゆく、というセルフ蠱毒化状況。

 そして、ある意味地続きなもの言いとしての「勉強してください」話法モンダイ。ある種の界隈、それなりに学歴もキャリアも積んでこられたらしい人がたの間で、好んで振り回される話法の一環として。たとえば、こんな感じに。

メガネイッヌ「お前はまず女性の陥ってる苦境について学んでからツイートしろよな」
twitter.com/Simon_Sin/stat…
シャカイガクシャ「ガイドラインに拒否感を示すなら、少女マンガ等がどの位ジェンダーバイアスを再生産・強化してきたのか勉強すれば?」
twitter.com/_keroko/status…