今から140年前・明治12年7月、ユリシーズ・グラント米前大統領が新富座で歌舞伎観劇。新政府発足以来超弩級のVIP、座元守田勘弥はじめ、貴顕紳士が接待に励んだのでありました。グラントは北軍の英雄だが、在任中は汚職頻発。「最悪の大統領」とも。 pic.twitter.com/xgxXG4WsCp
— 犬丸治 (@fwgd2173) May 26, 2019
新富座は、正面にテレンプの天幕、その真ん中に日米国旗を交差させ、東西桟敷から向こう正面の後ろまで、紅白のだんだら幕で飾りつけました。通行の場所には絨毯、大花瓶には無数の花、西洋菓子をうずたかく盛り上げて、正面二階の賓客の椅子は金の高蒔絵、運動場では氷水の接待と至れりつくせり。
演目は福地桜痴原案・黙阿弥のこのときのためだけの新作「後三年奥州軍記」で、九代目團十郎の八幡太郎義家は、南北戦争のグラントを擬したものでした。狂言半ばにフロックコート姿の勘弥と團十郎が恭しく挨拶。
最後は柳橋・新橋などから名妓が七十名総出で両花道から出ての惣踊り。片袖を脱ぐと、肌着に星条旗の星が現れたそうです。グラントからは、大統領杯ならぬ「太平」と「グラントより」の二文字が入った特注の引幕が贈られました。
国際社会に何とか船出しようとする明治日本の若々しさ、無邪気さを感じさせますが、それから140年経ったいまなお、妙な「既視感」があるのは、何故でしょうか。