少女マンガと劇画・雑感

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 歴史的にはおっしゃる通り、かつて♂の漫画家たちが♀子ども向け漫画も♂子ども向けと同じように描いてました。ただ、当時は共に「子ども」向けに「おとな」が「良いものを」という意識で提供されるのが漫画でしたから「自分のために」描くモティベーションは後に比べてずっと低く、異質だったかと。

 「自分のために」ある種自己表現として漫画を描くのが当たり前になってゆくのはその後、概ね60年代末から70年代にかけての時期でしょうか、♂の漫画家も♀の漫画家も大体同じ頃に。

 松本零士の奥さんになった牧美也子などは確か松屋町の玩具問屋の娘さんでしたか、それで「玩具」としての漫画に早くから接していたこともあって漫画を描くようになったはずで、近年また評価されている上田トシコなどの先行「女流」漫画家とは世代的にも出自的にも少し別の脈絡と言っていいと思います。

 「絵描き」の余技としての「漫」画を描いていた世代と、ある種自己表現として漫画を描くようになる/なれた世代との間の違いというのはまだそれほど明確に意識されていないかも、ですが、少年漫画少女漫画の間の違いと共に「描く」モティベーションの違いという意味で案外重要だと思います。

 おっしゃる「24年組」などは最初から自己表現としての(少女)漫画を描けた世代なわけで、それは同じ頃♀の子向け漫画市場から放逐された♂漫画家たちが「自分」に立ち戻って描いて新境地を開いていったこと(たとえば「男おいどん」や「ブラックジャック」など)ともパラレルのできごとだったかと。

 「おとな」が「子ども」のために「良いもの」を、という基本的なモティベーション(タテマエ含めて)は、戦後の児童文学などにも通底するものだったわけで、それはそれまでの「玩具」としての消費物という漫画とは違う地位や意味づけをしてゆくことにはなったでしょう、善し悪しともかくとしても。

 ただ、それはあくまでも「子ども」というのが前提で、その上での「男の子≒少年」「女の子≒少女」という区別だったわけで、それら性差前提とした内面の機微やココロのあれこれなどに描き手の「自分ごと」として主題が合焦されることはまずなかったと言っていいかと。

 ある意味、それは近代文学における「私小説」のありようが自明になっていった過程などとも通底する構造があったりすると思いますが、それはともかく「戦後」の過程での「子ども」の位置づけとそれら少年漫画/少女漫画の変遷とは抜き難く関わっているのは前提として間違いないと思います。

 少女漫画に男性の描き手が少ない(時代や文脈その他はいろいろあれどとりあえず)、ということと、ある意味裏表になる問いだとは思います。*2

 逆に、こういう問いはどうでしょうか。いわゆる「劇画」に女性の描き手が少なかったのはなぜか。

*1:TLでのやりとりから。こちらの文脈で自分の脳内整理のためになってしまったので、元のtweetなどは割愛させていただいた。

*2:あ、この場合の「少女漫画」は、いわゆる少女漫画的な表現&内実が確立されたとされる70年代にさしかかるあたりからこっちの、といった意味あいでよろしくです。それまで平然と存在してきていた「おにゃのこ向けの子ども漫画」という意味ではなく。