熊沢家のあれ、なんだかみんな自分に引きつけて、親か子かどちらかの視点でしか語れなくなっていないか?
— リグーリア2 (@Ligulia1Ligulia) 2019年6月4日
熊沢家のあれ、なんだかみんな自分に引きつけて、親か子かどちらかの視点でしか語れなくなっていないか?
「親も長年苦しんだ末のことで、仕方ないのでは」、「毒親家庭」、大抵どちらかの見方になっているような。
登戸も練馬も、篭っていた側がこの世にいないので、あちら側の言い分はもう永遠に聞くことはできない。裁判なんて、量刑を決めるだけだから。
「親の責任でケリをつけた」と納得するのは最もまずい。「人間のバグ・不良品だから仕方ない」も、やまゆり園事件と全く同じだからダメだ。
母親にフィギュアを壊された話も、掃除などでうっかり壊したのか、「こんな物にばっかり夢中になって!」と壊されたのかが全くわからないまま、後者だったかのように受け止めている人が多い。
むしろ結構母親は息子の希望を聞き入れてきたのではないかとの推測も成り立つ。だから息子は安心して苛立ちを母親にぶつけていたとも考えられる。想像の域を出ないけれど。
以下の事件に関するTwitter上での雑感拾遺として。
元次官長男刺殺1週間 中高年引きこもり、高齢の親も孤立 「相談できる居場所を」 https://www.sankei.com/affairs/news/190608/afr1906080002-n1.html
元農水事務次官「川崎殺傷」引き金、「殺すしかない」書き置きも
https://www.mag2.com/p/news/400421