今回のあいちトリエンナーレの騒ぎは、表現の自由など様々な側面で語られうるだろう。その中で私がなんとも残念なのは、韓国側からは持ち出せない形にした慰安婦問題を、日本国内から再燃させてしまったということ。せっかく完遂されようとしていた戦後レジュームからの脱却が一歩後退しかねない。
— kettosee (@kettosee) 2019年8月8日
徴用工判決の件で、戦後レジュームを脱却することがなぜ必要かわかりやすくなったと思う。徴用工判決とその後の対応では日本国民の財産が他国に不法に略奪されようとしているわけで、これに弱腰で対応するのは主権国家としてありえない。しかし戦後レジュームのままではそれが難しかった。
戦後レジュームからの脱却というのは様々な側面を持っているけれど、私的には「中韓の歴史カードの乱用を防ぐ」ことが相当重要だと思っている。徴用工判決で明らかになったようにそれは国益(国民の財産)に直結するからだ。しかし歴史カードの使用を規制することはすごく難しいと私は思っていた。
さらに中韓は冷戦後、米英露に対し「戦勝国クラブの一員」としての価値観の連帯を強調することが目立っていた。それは日本にとって目障りだ、というだけでなく、徴用工判決のように国民の財産が奪われようとしている案件でも、米英からの支持が得られない可能性があった。放置すればことは深刻度を増す
これに対し安倍政権では、オバマの広島訪問、安倍の真珠湾訪問、米上院演説、米立会いの韓国慰安婦合意、そしてトランプとの密度の濃い対話によって、少なくとも対米、対韓国では戦後レジュームの脱却を成し遂げそうになっていた。特に対韓では、米への根回しを十分にすることで、慰安婦合意、レーダー照射、徴用工訴訟、輸出管理問題など、ここしばらくの日韓間の多発する問題に対して、米からの支持を得る、ないしあえて放置させる、ことに成功していたのは大きい。安倍さんが戦後レジュームの脱却を言い出した時、私はここまでできるとは想像してなかった。
ちなみに対中国ではむしろトランプの方が強硬なのでこちらは静観で良いわけだが、ウイグル族拘束への22カ国非難も、かつての戦後レジュームのままだと日本はなかなか参加できなかっただろうと思う。中国から歴史カードで反撃される可能性も高かっただろうから。
戦後レジュームの脱却とか、外交とか安全保障とか、内需に比べれば意味がない、という意見もあると思う。しかし徴用工判決を見ればわかるように、価値観も外交ももちろん安全保障も、国富に、逆に言えば国民の財産、所得に直結する。徴用工判決と関連する差し押さえを放置すれば、それは際限なく拡大しかねない。(だって主体はあの国…だよ?)そうなったら、どれだけの国民の財産が毀損されるか。戦後レジュームの脱却により、中韓の歴史カードの使用を掣肘することの意味は、ここに来てますます大きくなっているのではないか。そんな時にあいちトリエンナーレだ。
米国立会いのもと「最終的かつ不可逆的な解決」を宣言した慰安婦合意により韓国側からはこの問題は持ち出せなくなっていた。文政権は合意に基づく財団を解散するなど、合意を破棄したいようだが、米国立会いの下の合意を簡単に破棄すれば、国際社会での信用を失う。彼らも八方塞りだったはずだ。
そこへ「日本での少女像の展示が権力により中止にされた」という事例ができてしまった。これは欧米へ声高にアピールしやすい典型例だ。これをホワイト国問題や徴用工判決と絡めてアピールする向きは必ず出るだろう。特に徴用工判決に対しての風向きが変わると、日本国民の財産が不法に奪われかねない。
戦後レジュームの脱却により、ホワイト国除外問題のように粛々と韓国の問題行動を諌めつつ、徴用工判決などの不当性をしっかりと国際社会に訴えていくということが可能になっていた。いわば騒がない、静かなる対等の外交だ。歴史カードが無効だよ、と示すことにより、それが可能になるはずだった。
戦後レジュームの脱却は、単に右翼的心性から希求されているわけではない。複雑な国際関係の中で、いかに日本の国益(すなわち国民の財産、所得)を守るかという問題でもあるのだ。あいちトリエンナーレの騒動が早期に沈静化し、静かなる対等の外交に立ち戻れることを祈っている。