モノと知性の乖離・メモ

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 津田氏に限らないけど、何か実力もようわからんのにチヤホヤされて発言力が大きくなって、何かの拍子にメッキが剥がされるって本当によく見るよな。実力があり、丁寧な仕事をしているのに目立たない人ばかりな世の中だからこそ、そういうのし上がり方には「何かある」と思いがちなのよね。


 自分は、今も比較的日本の製造業が元気だった頃の幻想が忘れられない古い世代なんだが、製造業のもっともいいところは、基本思想が「モノはウソをつかない」というところにあったからなんだよね。営業の力なんて弱かったが、それはウソなどで自分を大きく見せる余地の少なさでもあった。今は違う。


 日本は、土地の価値が信じられなくなり、そしてモノの価値が信じられなくなってから、「これからは知性がモノをいう時代だ」という感じにはなったんだけど、文系も暴落してから、文系学生の頼れる知がもっぱら「自分を大きく見せる方法」みたいな方向に傾いたよね。

 第三次産業が主流になって社会がこの先、変わってゆく、という「未来像」を示していたのが「大衆消費社会」論などにつながっていった高度成長期とその後。

*1:愛知トリエンナーレをめぐる騒動で、芸術アドバイザーだか何だかだった「津田金」津田大介の醜態が改めて露わになったことに関連してのTweet