言われたとおり近傍の別な場所を調整し、新たな空輸の段取りをして翌朝そこに行ってみると、マジで地滑りでごっそり無くなってました。
— むなーげ (@munagenow) 2019年10月4日
なおその後、タクシードライバーになっていた模様:-) https://t.co/L9YAefBml9
— guldeen/父は要介護5/求職中 (@guldeen) 2019年10月4日
土木コンサルでバイトしてました。あの人達、普段の仕事が災害対策なので歯医者が他人の歯を見てるみたいに土地見てます。
車で現場まで移動中「ここ崩れそう」とか。あと、他社が作った道路とか橋とか。
しかもなんか慌てる様子もないので、なんでかなあって思ってたら校舎やその他施設のある山側はほぼ完全に残って、校庭と道路だけがごっそり持っていかれたからだというコレマタ
土砂崩れを予測したと言うことならもしかするとその場所は市町村の土砂災害ハザードマップで『土砂災害警戒区域等』に指定されていたのかも知れません。それと降雨量を考え合わせてヤバいと判断したのかも!
「公務員」と「役人」の違い。「お役所仕事」というもの言いが一般的なものになっていった経緯。ある時期からの「公務員叩き」の風潮の前提になっていたはずの、そういう一般的なイメージとしての「役所」「お役人」に対する不信感や違和感が堆積していった過程というのは、落ち着いて考えてみる必要があるお題のひとつかと。
単に仕事っぷりがゆるい、横着で横柄だ、といった窓口対応的な部分での不信感に加えて、「なのに」クビにならない、叱責もされない、つまりいい加減な仕事していて「ラクしててずるい」的な感情の複合というのがあることは言われてきているし、まあ、感覚としてもわかるんだが、ただそれも高度成長期のように「民間」の景気が右肩上がりで、大卒でも「仕方ないから公務員にでもなるか」的な選択肢でしかなかった時期には、あまり表沙汰になることのなかった感覚なのではないか。あるいは、それ以前の喰い詰め時代や窮乏期にこってりと仕込まれていた「お役所勤めは安定してていいなぁ」的な視線がその時期には抑制されていただけ、とかかも知れないが。
別に役所勤めだけでもなく、「お堅い仕事」と呼ばれるような仕事は、銀行でも鉄道( それこそ国鉄なんか最たるものだ) でも電力水道その他インフラ系でも、ある種の会社勤め、サラリーマン的な業態がそのように見られていた経緯はある。その「お堅い」は主に女性側からの目線だったりするのは、嫁に行く先として安定していて間違いがない、といった内実であり、そういう意味でそれはマチだけでなくイナカにおいても、戦後の二種兼業が急激に増えていった過程などとも関係してくる、ある種の常民感覚、生活防衛の〈リアル〉だった面はあるように思う。*2
でも、その「お役人」「公務員」の中にもインフラその他の維持整備に関わる専門職、技術屋は確実にいるわけで。それは清掃などの「現業系」なども含めていいのだろうが、それはともかく、とりあえずそういう技術職、エンジニア系の人がたの専門性、ある意味職人技みたいなものが担保している現実というのは、いわゆる「公務員叩き」の気分には織り込まれていないことが多いか、あるいはあらかじめ別のものとして切り分けられているようで、こういう災害時の働きによって可視化されたりするものらしい。
こういう方って今も現役で仕事されてますかね
今のお役所にこういった方がいますように
地震研究とかそう言う方面から、お呼びはかからないんでしょうかね。こういう人が何を感じて予知できたのか。勿論、地震とはメカニズムが違うでしょうけれど。
ただ、これはそういう専門職、技術屋スゲ━━━━━━ヽ(゚Д゚)ノ━━━━━━!!!!ということで、そういう専門性や技術を継続的かつ安定的に担保しておける環境として「公務員」的な業態が必要らしい、というあたりにまで考えを及ばせることは、世間一般その他おおぜい的にはどうやらあまりないらしい、というのも現実のようで。
このへん、大学の「研究」職などについても同じようなジレンマはあるわけで、継続的かつ安定的にそれらを担保できる環境としての「お堅い仕事」というのが必要で、で、それは最もわかりやすい形としては「公務員」ないしはそういうパブリックセクターによって担保するということになっていた、要はそれだけのことだったのかも知れないのだが。