宅配ピザのバイトをしている時、お得意様で狩野さんっていう80歳ぐらいのおばあちゃんがいたのね。古い気質の人で自分の食い物を人様に運ばせるのに少し抵抗があったみたいでいつも玄関先で正座して待ってくれていたの。ほんで「いつもありがとうございます、申し訳ごさませんねえ」ってお金を渡すの。
— 5fret(ごふれっと) (@5fret) 2019年10月12日
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ピザを受け取りながら「作らなければとは思っているんですがどうも最近身体が言う事聞かなくて」なんて申し訳なさそうにしているから僕も「いえいえ全然!近いし大丈夫です」って言いながら受け答えしていた。バイト仲間もそうだったけどみんな狩野さんが好きだった。なんつうか品のある人だったんだよ
ちょうどこんな台風のひどい日が来たんだけどやっぱり忙しくてピークを乗り越えた時店長が「そういえば狩野さん大丈夫かな?」って言うから「寿司とか頼んでんじゃないすか?別にピザ屋もうちだけじゃないし」みたいな事言いながらもみんな心配になってきたんだけどこちらから電話するわけにはいかない
貼り付けた伝票見たら牛込神楽坂のがあって狩野さん家の近くだったから担当の吉野君からピザ奪って「ちょっと変わってー俺見に行くわ」って配達終わりで思い切ってインターホン押したら案の定「こんな雨風強い時に申し訳ない」と思ってたみたいで「今朝作ったお粥があるので大丈夫です」とか遠慮するの
しょうがないから「イヤ今日思ったより暇で、お店の売り上げやばいすよ…」って方便使ったら喜んでオーダーくれた。僕はその場でお店に電話してすぐに作ってもらった。もう閉店間際だったからどうせ廃棄になるだろうシーザーサラダを吉野に持たせた。そしたら「ありがとうございます」って電話きたのw
狩野さんあんまり生の野菜を食う習慣がなかったらしく「あれは本当に美味しいものですねえ」ってわざわざ伝えてくれてでも「クルトンがちょっと年寄りが噛むには硬過ぎたのでスプーンですり潰して頂きました」って言ってた。
それから狩野さんは毎回ピザと一緒にシーザーサラダを頼んでくれるようになった。もちろん僕たちはあらかじめクルトンをスプーンですり潰したのをサラダにまぶしてから持って行った。
おしまい!
年寄りの「外食」(≒自分で食事の準備をしない/できないことへの対応としての食事のアウトソーシング) に対する忌避感や罪悪感みたいなものと、でもそれが「宅配ピザ」であるというあたりのオシャレ加減、がいい按配に配合されている感。
自宅以外で食事をするという意味での外食自体は、屋台店や盛り場での飲食などで早い時期から普及はしていったことは言うまでもないけれども、でも、その「外食」というもの言いがフラットに一般化してゆくのは、子どもらにとっての「買い喰い」などがそれほど白眼視されたり声顰められたりしなくなっていった過程や背景と相応しているのかも知れない。あと、その外食の内実が、屋台店やそれに準じた簡便な施設での「買い喰い」「立ち喰い」的な腹ふさぎやスナック系でなく、ある程度落ち着いて「食事」ができるという意味あいが強くなってゆく過程というのもあっただろう。
もちろん、この挿話の狩野さんの「外食」はそのように自宅の外で食事をするという意味でなく、先に言ったような「自分で食事の準備をしない/できないこと」に対する忌避感罪悪感の結果としての。
*1:ネット発の( ;∀;)イイハナシダナーのひとつ。ちょっとした短編小説などになり得るような「素材」としても、また〈いま・ここ〉の「世相」の断片素描としても。