組織の破綻・雑感

 「規則通りに」「前例に従って」「決まったことを」こなしてゆく、ということだけを日々の仕事の習い性にしてしまっていると、そもそも「何のために」その「規則」「前例」「決まり」が作られたのか、ということを全く考える力もそのやり方も忘れてしまうものらしくて、な……「組織」なり「会社」なりが見た目それなりに回っているように見えていればいるほど、そういうビョーキの症状は無自覚なまま深刻化していったるもの、なんだわな。

 日々の売上げや営業成績、同業他社とのしのぎあいのさまなどが日常的に「見える」ような業界ならばまだしも、扱うものがカタチも見えにくく具体性からも遠い場合はなおのこと、そういう危機や破綻の気配が察知しない仕組みが知らぬ間にできあがっていたりするわけで、な。

 公務員でもないのに意識も気分も手癖も仕事の手順も、みんな公務員以上に公務員しぐさの標本みたいになって、それはそれで安楽らしいからすっかり身にもついて、内輪の現実だけが世界の全てになって決定的な破綻、カタストロフィがある日ある朝突然に、という、な。

 東芝でも日産でも日立でもサンヨーでもどこでも、ここ10年内外で(゚Д゚)ハァ?な醜態をさらしちまったような本邦ポンニチ「一流」企業や組織のありようってのは、岡目八目の大雑把で言うならどれもみな横並びにそういうワヤ、そういう煮崩れ方をそれまで長年かけて日常化してきとったんだろうなぁ、と。

「もう決まったことだから」
「上が決めたことだから」
「どうせ言ってもムダだから」
「変えようとしても結局損するだけだから」

 こういうもの言いが1日に何回も実際に耳にされ、あるいは脳内に流れるようになっとったら、おそらくそれはもう手遅れのシルシ、だとおも。

 「冷笑」というのを悪い、邪悪な意味あいで使いたいならば、こういう症状に唯々諾々と従うだけになっている現在をこそ、正しく「冷笑系」と読んで嘲り嗤っていいようなもの、なのだと想う。