氷河期の生き残り方・雑感

 社内調整はできるし考え方はしっかりしてる。でも今転職したら給料は半額とかなってしまうだろう。オフィス製品とか勉強ちゃうし。ERPへの投資を進言せんと。25歳の時は僕なんかよりはるかに恵まれた立場に居たと思うが、世間より高給で転職の動機がないと、世の中変わった瞬間に死んでしまいかねない。未上場企業で安定してると、経営詰んだ瞬間に死ぬ人増えるな。今日明日死ぬわけじゃなく、真綿で締められるように少しずつ衰退してるのが余計たち悪い。教科書に出てくるような茹でガエルの例。

 就職氷河期と呼ばれる時期に社会に出るめぐりあわせになり、後にロスジェネなどと称されるようにもなるいわゆる「団塊ジュニア」あたりの世代の、どのような生き延び方をしてきたにせよ、世の中からまっとうに遇されたという感覚が持てないままの、薄倖な自分たちという共通感覚の根深さは、ここにきてさらに彼らの同世代間の人生行路の帰趨が明暗含めてそれぞれ波瀾万丈な様相を呈していることが、自分たちのみならずまわりの世の中一般にも知られるようになってきたことから、なおひとつの社会問題としてとらえられるようにもなっている。

 ひとまず、ことを「会社勤め」に限ってみてもいい。学校を出て会社に入り給料取りになり、仕事を覚えてそれなりに一人前になってゆくのが30歳くらいまで、そこから先、部下もでき責任も増え、プライベートでは世帯持ちになるのもあり、また昨今のこと独身貴族(死語か) を謳歌するのもあり、といった経路を最大公約数的に想定してみること自体、ことこの氷河期世代については(゚Д゚)ハァ?、なに呑気なことぬかしとん?( ಠωಠ) になるのが関の山。第一、会社自体が無事に10年もたないような事態がすでに決して珍しいことでもなく、転職上等、履歴書の経歴欄に何行にも及ぶ職歴が積み重なることも勲章にせざるを得ない状況が、そこらの駅弁大学(これも死語か) でなくても堂々六大学、地方国公立大を出ていたところで普通に襲いかかるようになっていた。これを要するに、終身雇用という「おはなし」がすでに破綻し、それを「おはなし」としてでも前提として成り立っていたはずの「会社勤め」の世渡りがその根太板から破れて、ネクタイ締めた流浪の民長谷川伸ではないが「飛びっちょ」渡世にならざるを得なくなったということになる。

 とは言え、ここで触れられているのはそれらの中でもまだ「終身雇用」的な前提が危うくも崩れないまま推移していた職場の風景。回りを見渡しても自分はまだまし、何よりほら、この会社がまだ潰れることなく自分の職場も異動改編なく、入社このかた曲がりなりにも一本道の「キャリア」が通っていてそれなりに人生やってこれている、とおそらく自覚できるような40代50代を迎えているだろう人がたのこと。オフィスでExcelやWord使えるなどはもはや当たり前過ぎて言うのも恥ずかしく、かつまたその程度の「スキル」(このもの言いは新しく参入してきたひとつか) など一旦職歴が途絶えるようなことになり、いまどき労働市場に放り出されたが最後、何のアドバンテージにもなりはしないということを、このツイ主は冷徹に淡々と指摘するばかり。これはすでに現実であり、世の「会社勤め」をとりまく環境の多くが直面している事態ではあるのだが、しかし「会社勤め」のその他おおぜいレベル、非上場企業のどこにでもあるような規模のそこでは、それら同時代の「会社勤め」一般をとりまきつつある状況など、その内側からは見えないまま日々は過ぎてゆく、と。

 「衰退」と言っている。確かにそうなのだろう。個々の会社や業種、業界の栄枯盛衰とはまた別の、「会社勤め」という「おはなし」も含めた現実そのものが時代の表層から後退しつつある、そんな眼前の状況。ただ、そのことを身をもって思い知ることは、現実に自分事になるまではないままらしい、ただそれだけのこと。「氷河期世代」と呼ばれる世代にとっての世渡りとは、すでにそのような個々がそれぞれに直面する「そういうもの」としてしか対処しようのないもの、これまであったそれこそ「労働組合」とか「共済保険」とか、いずれそのような少し前までは間違いなくセーフティ・ネットとしてしつらえられ、また実際機能もしていたようなさまざまなたてつけからしてまず役立たずであることも含めての逃げようのない〈いま・ここ〉として、ある日いきなり自分事になるようなものになっている。

 生き残ること、が自分事でしかなくなっている「会社勤め」。すでにそれはそこに至る学歴その他の積み重ねの結果としても、著しく釣り合いのとれない、投資とリターンの見合わない渡世のありようになってしまっているらしい。