杵柄役立たず、論

「子どもは保育園になんか行きたくない。それを母親の都合で預けて働くという意味をよく考えて働きなさい」とかさ、あの人は「女のくせに何で子育てもせずに働くんだ」って責められてきたから、そうやって理論武装しなきゃならなかったんだろうなって思ったけど、今とは旦那の給料の額が違うんだわ。


 何もかも時代背景が違うなって思った。あの人は女が働くために「女ならではの細やかさ」とか「女性の優しい感性」とか、女でないとならない理由を必死でアピールするしかなかった。でも「男ならではの感性」とかを男がアピールする必要がない以上、もうそれはその時点で差別的だと私は感じた。


 男は「男ならではの力強さ」をアピールする必要がないし、別に力強さがなくても働いていい。じゃあ女は?「女ならではの何か」をアピール出来なければならない?もう「その人ならでは」でいいと思う。今語られるべきは男女共同参画ではなく、多様性なんだと思う。


 何が言いたいかと言うと、「昔取った杵柄」みたいなの、今はマジで役に立たんという話


 「育休を取って当たり前と思わないように、そんな態度では男の人から疎ましく思われます」みたいなことも言っていて、男しかいないところに1人で乗り込んだ講師の大変な苦労を思ったけど、それはともかく今日本では男の育休の議論をしてますよ、と思った。


 「女性の社会進出」はそこそこ進んだから、この先は「男性の家庭進出」を推進するしかないんだよなぁ