ホンモノキャリア女性の品格・メモ

 外資系大企業でガチのキャリアをやっている女性の講演会で「家庭と仕事の両立はどうしたら?」という質問に「配偶者選びもキャリア設計のうち、あなたのキャリアを第一に考えてくれるフリーランスや主夫を選べ」という力強い回答があった……という話を聞いて、本物は「格」が違うと改めて思った。


 更に「同じ家庭内にハイキャリアの夫がいるとキャリア優先権を食い合ってお互いが敵になる」という本質情報が飛び出したそうで、本物は格が違うというか……その…一周して団塊のオッサンみたいなこと言ってないか…?最後にはそこに辿り着くのか……??


 ちなみに私もキャリア講演会みたいなのは行ったことあるけど、家庭と仕事の両立に対してはゆるふんわりと「夫の意識を変える、実家を頼る、家電や支援で工夫してがんばる」って感じで虚無やないかーーーーいと思った記憶がございますね、意識を変えたら夫の労働時間が減るわけじゃねーから…

 団塊のオッサンみたいだな、と私も思いました。

 うまく言い表わせませんが、性別に関係なく「夫婦のうち片方がハイキャリアなら、もう片方はハイキャリアを望まず、相手に寄り添える自営業か『しゅふ』であれ」という考え方自体が、ちょっと昭和っぽくないかなぁ、と…

 外で働きスキルや経歴を持ちつつ家庭運営と均衡させるとなると、やっぱりそこに落ち着くんじゃないですかね。バリキャリって要は外でマンモスを狩る、より上手く多くのマンモスを狩れるようになる、ということなので。お母さんがそれやるなら、お父さんには家内を守ってもらうしかない。

 わかってたオブわかってた話ですが結論そういうことですよね。家庭の目的意識が両方ゆるキャリでやっていくか片方バリキャリでやっていくかの話で両方バリキャリは無理があるという

 男女雇用機会均等法以降、それこそ「男女共同参画社会」などとブチあげられてこのかたでもいいけれども、オトコであれオンナであれ、共に「等価」に「平等」に「労働力」としてカウントされ得るようになってきた以上、「キャリア」層の身すぎ世過ぎ日常下半身含めたなりようもまた、このようになってこざるを得ないのは必然であり、あたりまえとしか言いようがないのだが、しかし、例によってジェンダースタディだのフェミニズムだのの界隈にとって、このような〈いま・ここ〉の個別具体は初手から歪んだ認知枠組みによってしか補足されない/できないようになっているのもまた、何というか、心萎える事実だったりする。

 専業主婦と同じく専業主夫という存在が未だうまく現実化されてこない憾みがあるのも、キャリア積んで自ら自立したオンナたちが、決してオトコを扶養する方向にはゆかず、「おひとりさま」を選択してゆくのも、少なくとも今の50代そこそこから下の彼女らの世渡りにとっての「合理的選択」になっているのは、まあ、眼前の事実ではあるようで。