企業と地元の関係・メモ

 昭和の、高度成長期ぐらいに設立した会社の事業の目的欄、「○○を通じて地元の公衆衛生に貢献」のようなところが多くて、読むのが好きだった。一方、公益的な思想で運営したから薄利多売傾向が強くなって資本的な強さを持てなかったのかな、と思う。 https://t.co/tkRqr6Q5qs


 同じ薄利多売でも大資本の方が仕入や経費は単価あたりがより安く、淘汰されてしまったけれど、お陰で「調子悪いから見てくれる?」で翌日には見てもらえる世界も崩壊した。時計の電池換えさえ数週間待ち。この不便は更なる消費サイクルの加速に向かうのか、昔に回帰するのか、どっちかな?


 腕時計などスマホがあるから要らない、スマホを使えない場面はレアだからむしろ手巻きの方がいい、スマートウォッチは陳腐化が激しいから買替以外の選択はない、と基準も変わり、消費行動も変わるだろうけれども。一度集約したものが、ITの活用でどう細分化していくのか(消費としても、組織としても

 「いいもの、を、安く」が「お客さま」に喜んでもらえるし、ひいては「地域/地元」への貢献になるし、といった経営理念(だか何だか、とにかくそんなもの)は、確かにある時期まで小さな商売、いわゆる小売系の、いまどきならBtoCなどと呼ばれるような業態の末端の切羽には、割と普通にこういうスローガンは掲げられていたような記憶がある。

 その意味で、「薄利多売」という言い方の経緯来歴も興味深いが、これはそれこそ「商いは牛のよだれ」と古くから言われてきたように、まさに「飽きない」で「細く長く」「続ける」ことで小さな利益を積み上げてこそ、一定の「富」にたどりつく、だからそれを信じて耐え得るだけの「辛抱」をしなければならないという通俗人生訓などとも融合しながら、ある程度の歴史的な背景を持っているのだろう。

 こういう発想、了見というものの歴史/民俗的背景を考えようとすれば、おそらく「市場」(的な拡がりとそれに伴う「もうひとつの〈リアル〉」)の発見と共に、世間一般その他おおぜい常民レベルでの認識として入り込んできたはずで、それこそ近江商人やら何やらの商道徳、商人倫理みたいなものの成り立ちから、本邦根生いの資本主義的世界観・価値観の形成過程といった、それなりにもっともらしげな大きなお題に繋がってゆくはずなのだが、それはともかく。

 「いいものを安く売る」ことを表立って標榜することが、顧客つまり消費者としての世間一般その他おおぜいのココロに対して普遍的な「正義」として響くようになっていったことにも、また歴史的な経緯来歴があるのだろう。「市場」的な現実の「何でもあり」の混沌、弱肉強食のミもフタもない世界に何らかの制御を働かせ、一定の秩序を与えることが、実はその「市場」の規模をある閾値を越えて拡大してゆくことにつながる、それに気づくことがおそらく「資本」=capital というもの言いに見合うような新たな現実とそれに伴う〈リアル〉を自分ごとにしてゆく第一歩、だったのだろうと思っている。

 かのダイエーが「主婦の店」を標榜して敗戦後、神戸は元町だったかの闇市的混沌の中に、隠匿物資のジュラルミンをどこからか調達してきてバラックの屋根を葺いて、といった「伝説」と共に語られてきたのも、その「いいものを安く」の精神の普遍性に支えられてきたところがあるはずで、それはその後の紆余曲折、戦後の有為転変の果てに、流通のありかたの変化と共にさまざまに形を変えて現われた「安売り」「ディスカウント」系の小売店舗の業態に転生してもいるらしい。

 だが、その「いいものを安く」で「薄利多売」で儲けてゆくことだけで、その閾値を越えられる程の「市場」の拡がりをすんなり手に入れられるものか、というと、どうやらそうではないらしい。それは、なにも経済学や経営学などの難しい理屈を引っ張ってくるまでもなく、半径身内プラスアルファでせいぜい数店規模の展開を維持してゆく知恵や手管で回してゆける現実から、さらに〈そこから先〉へ踏み出そうとする時に必ずくぐらねばならない新たな体験なのだと思う。そして、そこが「商売」にとってひとつの分岐点になることは、おそらく古今東西変わることのない、この等身大の生身を伴うイキモノであるわれらニンゲンの本質に関わるところでもあるのだろう、と。

 「商売」が「ビジネス」になってゆく、そこに介在してくる「マネジメント」≒「経営」という要素は、それまでの段階と異なり、「政治」=politics の射程も遠近感もまた別のものにしてゆくのだと思っている。その意味で、いわゆる経営学や経営史、マーケティングだの何だのにまつわるあんな古書こんな雑本の類を、ここ数年くらいは少しずつ拾い直して、還暦の手習いみたいなことをやっているのにも、きっとどこかで意味ある結実につながるのだろう、と漠然と感じている。