亡くなってしまったが、昔うちには知的障害のおじいさんが住んでいた。家族が貧しく彼の面倒を見られなかったので、住み込みでうちの手伝いをして暮らしていた。3歳児位の知能なので、赤ちゃんは可愛いがるけど4−5歳くらいの子とは本気で喧嘩し、15歳を過ぎたら「姉ちゃん兄ちゃん」と呼んでくる。
— やまさん@Eiko Yamashita🏴🕷 (@Eiko_Yamashita) 2020年2月24日
だから、頼まれたらTVをつけて相撲を見せてあげたり、お菓子をあげたりしないといけない。
うちの子達は皆赤ちゃんのうちは子守をしてもらい、大きくなったらお兄さんお姉さんの役割をしないといけない。亡くなった父の事は、20歳も年が下なのに「兄ちゃん、兄ちゃん」と呼んで懐いていたのだ。
父が亡くなって「兄ちゃんがいなくなった」と寂しそうにしていた。たまにトコトコ歩いて父のお墓に行ってその辺で積んだお花をあげたりしていた。家族が見つけたら捨てるのだが。
数年前に亡くなったが、結局今はうちのお墓に入っている。肉親は関わり合うのを嫌がっていたから。
たまに派手な柄の服が見当たらなくなる事があったのだが、母がピンときてそのおじいさんの部屋に行くとそこで見つかる事があった。
母曰く変な意味ではなく「亡くなった母親がそういう襦袢を着てたんでしょう。貧乏なりに可愛がって育てたけどあんまり長生きしなかったみたいだ」と言っていた。
「可愛がって育てたから、きっと心が優しく穏やかなんだよ」と言っていた。
そのおじいさんは一生歳を取らないで3歳くらいのまま亡くなった。最後は老人ホームに入ったが、自分が幼い頃行きたくても行かれなかった「学校だ」と喜んでいて、介護士さんを「先生」と呼ぶので皆クスクス笑っていたそうだ。
私の母の実家にいた、兄妹(2人)も私の祖父が橋の下で飢えてるところをかわいそうに思い、育てていた(のちその妹の方は祖父の兄弟に育てられる)。知的障害があったが、とても優しい「あんちゃん」だったと母は言っている。この現代にそんなことあるんだ、と
— kaseida🖖(菩薩慈悲治郎) (@sinwakusei) 2020年2月24日
子供である私達兄弟にはちょっと怖いおじさんだった。話しても会話がうまく通じないので普通のおじさんとは違うなとは思ったけど悪い人じゃないと分かってからは薪割りを手伝ったりもしていた。髭面で服装もあまりきれいではないから食事も部屋には上げずに縁側でお膳で出していたように思う。
— プント (@punto_nagata) 2020年2月25日
うちに来た時は近所の家でも何件か同じように作業をしてもらったようだ(子供だったし親もわざわざ詳しくは話さなかった)。数ヶ月に一度くらい来てたから、あとは別の地域を訪れて同じような作業をしていたのだろう。つまりそうやって彼を受け入れる地域が沢山あったのだろう。そんな昭和の風景。