「文化立国」の呪い

 本邦人文社会系(いわゆる「文系」)の増上慢からお花畑(゚∀゚)アヒャヒャヒャヒャに至る経緯、というのもそのへんから胚胎しとるところ、あるような気が。戦前までの人文社会系とは位相が異なるというか、全能感みたいなものを勝手に実装していったような。

 丸山真男だの川島武宣だの(以下随意)から各種有象無象の「文学者」界隈に至るまで、とりあえず「文筆の徒」であるということだけで何か価値のある発言やものの考え方を提示する・できるものだ、的な共同幻想が立ち上がっていった経緯。

 「インテリゲンチャ」というもの言いにしてもあれ、敗戦後の言語空間&情報環境において、それまでと異なる意味あいをはらんでいったフシがどうもあるんだわなぁ……「民衆」とかそういう系のもの言いとも融通無碍に複合していった形で。つまりその他おおぜいの自意識を斜め上に仮託するための「われわれ」として。