大江戸ゴジラ
— 林 譲治 (@J_kaliy) 2020年6月4日
戦国時代に南蛮人がやって来てから、日本にゴジラ(全長30m)が上陸するようになった。それは因果関係はなくたまたま偶然だが、人々はそうは捉えずに、南蛮人が連れてきたくらいに思ってる。これが後のキリスト教の禁止につながる。
大江戸ゴジラ
戦国時代に南蛮人がやって来てから、日本にゴジラ(全長30m)が上陸するようになった。それは因果関係はなくたまたま偶然だが、人々はそうは捉えずに、南蛮人が連れてきたくらいに思ってる。これが後のキリスト教の禁止につながる。
当初、諸大名は覇権を争うのと同時に数年に一度、不定期に現れるゴジラ対策にも忙殺されることになる。秀吉の毛利攻めの時には、下関にゴジラが上陸したため、毛利は秀吉と不利な講和を結び、同時期の本能寺の変で秀吉の天下が定まる。
海外貿易独占で政権の安定を図ろうとした秀吉は海上輸送路の安全のために、大型軍船で海上に進出し、ゴジラ退治に明け暮れるが、これは大失敗で、ゴジラの上陸頻度は増えるし、出費ばかり嵩んでしまう。これが徳川の天下の背景となる。
徳川幕府は秀吉とは反対に、軍船で打って出るのではなく、海岸線の防備を重視し、毛利や島津などの大名は海岸線防備を命じて、国力の消耗を狙う。ただ譜代大名だけは大型軍船の建造が認められる。
あるきっかけから、ゴジラは大量のイワシを与えると大人しく海に戻ることがわかり、イワシ漁はゴジラ対策と不可分になる。特別の許可を得た漁師たちが士分に取り立てられ、大型軍船で遠洋のイワシ漁にでかける。
同時期、アヘン戦争で清朝はイワシを用いてゴジラを誘導し、イギリス東インド会社の艦隊を全滅。これによりイワシが国際的戦略物資になる。
こうしてイワシの力は信仰を生み、人々はイワシを拝むようになる。イワシの頭も信心からとはここからきた。
知っているのか、雷電!