大阪のマルサ・メモ

 東京国税局でもマルサの部次長が査察管理課長を同席させるなんていうことは滅多になく、東京では「俺は記者とは一切付き合わない」って言われただけだった(筆頭課長がですよ)。大阪は鷹揚で、懐が深いなあと感心していたら…。


そ の日の晩、前任で国税担当20年ぶりくらいのスクープ記者といわれた阪秀樹先輩が電話をしてきて「査察部次長が亡くなったぞ」と言う。「何で?」と訊いたら「自殺らしい」と言う。


 折から近畿地方の金融会社の強制調査がメディアに漏れ、それを気に病んでいたという噂が流れた。実際にその金融会社の強制調査は延期になっていたけど、そんなことで人が自殺なんかするだろうか? 査察部次長といえば、次は筆頭税務署の署長になるくらいのノンキャリアトップだ。


 あのとき、筆頭課長を同席させたのは、もう自死することを決めていたのかな、と思った。僕が名刺を交換した査察管理課長は翌日から査察部次長に座った。


 大阪国税局の人たちとは実にウマが合って、楽しい日々。自分でも食い込めた実感はあったんだけれども、査察部次長がなぜあんなことになったのかは、なかなか教えてもらえなかった。「う~ん、いろいろあったんやね」としか。


 後で分かったことだけども、部次長は業者に嵌められたらしい、と。NHKドラマの国税を扱ったドラマがあって、まさに僕が聞いたのと同じ話が描かれていた。ちなみに査察の予定が延びた業者は、大阪国税局がその数か月後に再度、強制調査に入り、


 社長は実刑判決となりました。この社長、法廷で「朝鮮総連の商工会に入っていた。そうすれば国税が調査に来ないと言われていたが、拉致問題などの発覚でダメになったので部落解放同盟の企業連合会に入った」と検察官の冒頭陳述で暴露されていました。


 ちなみにこの社長は全く同和とは無関係の人でした。だって日本人じゃなかったから。法廷にいた部下と思しき若い衆が法廷からの帰り、わざと閉まりかかったエレベーターに足を突っ込んできて、開けた後、僕を一瞥し「あんた、熱心やね。国税の人?」って訊くから「産経ですけど」って答えたら「記者? だったらうちの社長、応援してよ」と凄んできて「裁判の進捗次第ですね」とにべもなく答えておいた。関西ではこういう業者もいるんだ、と思って背筋が寒くなりました。


 あのとき、僕に筆頭課長を紹介してくれた部次長。白髪の温厚そうな人だった。「課長と同じ姓ですねん」って笑っていて、その夜に亡くなるなんて微塵も思わなかった。後を継いだ課長もその後、次々にアンタッチャブルな案件を査察しました。


 あんまり凄いんで「僕は大阪にはタブーがいっぱいあって、国税は碌に事件をできないって聞いていたんですけど、大阪国税って凄いですね」って言ったら(お世辞抜きで)、「いや、釣り堀で魚おるやんか。釣ったらあかんって言われたら、魚は腹減るやろ。