ジャーナリズムと政治・雑感

 「「自分たちのストーリーに沿った「証拠」を集めて、そのストーリーをオーソライズして既成事実化、現実化させてゆくことを「合理的」「効率的」に推し進めることが「政治」」になっているなら、広義のメディアとそれを制御して運用してゆく仕組みが当然、その「政治」にビルドインされてくるわなぁ。

 メディアとそこに担保されることになっていた「ジャーナリズム」が、少し前までのように「政治」と対抗的に異なる立ち位置を占めなくなっていった過程とその理由や背景、を落ち着いて言葉にしてゆくことが必要だわな、とりあえずやるべきことのひとつとしては。

 で、その「ジャーナリズム」の内実もまた、その少し前までの「政治」と対抗的な立ち位置にいられた頃のそれとは違う煮崩れ方をしてきとるわけで、な。

 ようわからんが、とりあえずそういう「ジャーナリズム」と「政治」を共にトラバター状態に煮崩れさせていったダイナモでありエンジンというのが、「広告」「広報宣伝」という役割・属性にまつわって凝集し稼動するようになったゼニカネの流れ、ではあるような印象はある、直観&当て推量ながら、とりま。